サッカーのエースナンバーが10なのはなぜ?意味・由来と別の背番号のエースもいるのか解説

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サッカーでピッチに散らばった選手の背中にはいろんな番号が付けられています。。1桁から10番台、30番台や40番台の背番号もあります。

その中で特別な背番号が1つだけあります。それは「10番」です。それほどサッカーに詳しくない方でも、背番号10をつけた選手がそのチームのエースであることはご存知でしょう。

FCバルセロナのメッシ、レアルマドリッドのモドリッチ、パリサンジェルマンのネイマールなど、世界的な名選手が所属クラブや代表チームで10番をつけています。

ではなぜサッカーでは背番号10がエースナンバーなのでしょうか?

どういった由来でチームのエースが10番をつけるようになったのでしょう?

また10番以外の背番号をつけた世界的なエースはいるのでしょうか?

ここではサッカーにおける特別な背番号10についてまとめました!

 

サッカーにおける背番号の始まり

サッカーはイングランドで生まれたスポーツですが、19世紀から20世紀初頭までは背番号はありませんでした。サッカー黎明期にはポジションという概念があいまいで背番号もなかったのです。その後次第に戦術やポジションという概念が出来上がっていったようです。

そして1920年代になり、初めて背番号がついたユニフォームで試合をするようになりました。イングランドリーグでのことです。

最初はピッチに立つ11人に1~11の背番号が割り振られました。

ゴールキーパーが1番をつけ、ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワードと攻撃的なポジションになるほど背番号が上がっていきました。つまり守りの選手が2番とか3番をつけて、攻撃の選手が10番とか11番をつけていたんです。

でもそのころは10番が特別とか、エースナンバーという意識は選手にも観客にもありませんでした。

ではいつから背番号10がエース番号として特別な存在になったのでしょうか?

10番の由来:特別な背番号にしたのはブラジルのあの選手

ペレ。黒い真珠ともキングとも、サッカーの神様とも言われるこの選手が背番号10を特別な存在にしたのです。

1958年サッカーワールドカップスウェーデン大会に10番をつけて出場。当時まだ17歳。準決勝で3得点、決勝でも2得点と大活躍!ブラジルに初のジュールリメ杯をもたらしました。ガリンシャ、ジジ、ババ、ザガロなどすぐれた選手がいたブラジル代表の中でも、ペレは特別だったのです!

その後1962年ワールドカップチリ大会では、負傷のためフル出場はならなかったものの優勝。1970年メキシコ大会では円熟のプレーを見せ、またまた優勝。3回のワールドカップを母国にもたらしたのです。

ペレの何がスゴイかというと、当時だれもしたことがないプレー、だれも見たことがないプレーをたくさん見せてくれたことです。今見ても驚く、イマジネーションあふれるプレーがいくつもありました。

そういった背景があり背番号10はサッカーのエース番号になっていたのです。

ちなみに筆者は現役時代のペレのプレーをリアルタイムで見たのはたった1度。1977年NYコスモスで来日。ペレの引退試合の興業で来日し、2試合したときのことです。2試合目のNYコスモス対日本代表は、釜本邦茂選手の代表引退試合。試合後ペレと釜本が2人でお立ち台に上がったのをよく覚えています。

背番号10をつけた名選手たち

 

ペレの活躍によってエースナンバーになった10番は、その後多くの世界的名選手がつけました。

  • ブラジルのリベリーノ、ジーコ
  • アルゼンチンのケンペス、マラドーナ
  • フランスのプラティニ、ジダン
  • イングランドのリネカー、オーウェン
  • イタリアのバッジオ、デルピエロ
  • 日本のラモス、名波、中村、香川など

タイプは違うもののみなパスが出せて、ボールを持てて、点も決められる選手たちですね。

あなたにとって背番号10といえばどの選手が印象に残っていますか?私はジーコかな。

クラブでも代表でもすばらしかったですが、特に印象的だったのが1982年スペインワールドカップ2次リーグイタリア対ブラジル。

前半だったと思うけどジーコのユニフォームが引っ張られて、背中側がびりっと避けた10番が印象的。

引き分ければ勝ち進めるブラジルは、なんとイタリアに負けてしまい敗退。イタリアはその後勝ち進み3回目の優勝をしたのでした。

たまたま背番号10をつけて初のワールドカップを母国にもたらした選手

背番号10に関してひとつ興味深いエピソードをご紹介します。1978年ワールドカップアルゼンチン大会での話です。

当時アルゼンチンはワールドカップで勝ったことがありませんでした。自国開催のワールドカップを2年後に控えた1976年、国内でクーデターが勃発、その後軍事政権が発足。政府は1978年地元開催のワールドカップでいい成績を残し、世界に軍事政権をPRし、その正統性を認めさようと躍起になります。

それ以前のアルゼンチンのサッカーは規律を守らず、粗暴でとても荒っぽいスタイルでした。代表選手もリバープレートなど首都ブエノスアイレス近郊のチームからばかり選ばれるなど、あまりいい雰囲気ではなかったんです。

そんな中、代表監督のセサル・ルイス・メノッティがチームにきびしい規律を導入。地方のクラブから代表に選手を呼んだり、合宿を重視するため海外組を極力少なくしたり。さらにチームに規律を持ち込むため、アルファベット順に背番号をつけていくということをしたのです。

するとKではじまるケンペス(Mario Kempes)が背番号10をつけることに。たまたま10番をもらったケンペスですが実はこの選手、スペインリーグのバレンシアに所属し、リーグ得点王になるなどエースとしての実績は十分。

つまり実力で10番をつけてもいいケンペスが、アルファベット順という理由でエース番号10をたまたまつけることになったのです。

ケンペスはこの大会で大活躍!決勝戦の2ゴールを含む6得点で得点王。MVPにも選ばれ、アルゼンチンにワールドカップ初優勝をもたらしたのでした。

背番号10以外をつけた世界的名選手たち

ペレの出現以降、クラブや代表でエースクラスの選手が背番号10をつけるようになりました。

でも10以外の背番号をつけて活躍した名選手もたくさんいます。ご紹介しますね。

ヨハン・クライフ:14番

ヨーロッパチャンピオンズカップ3連覇、バロンドール3回、そして1974年ワールドカップ西ドイツ大会でのトータルフットボール旋風。

輝かしい実績を残したオランダのヨハン・クライフは現役時代14番を好んでつけていました。なぜ彼が14番を好んだかは諸説あります。

クライフがまだ現役の頃のサッカー雑誌に「ペレが10番、ディ・ステファノが9番。だから自分は14をつける」という話が載っていたのを記憶しています。

すでに鬼籍に入ったクライフですが、世界のサッカーに与えた影響はあまりにも大きく、今になりようやく時代が彼に追いついたという印象です。私が最も好きなサッカー選手です。

クリスティアーノ・ロナウド:7番

現在ユベントスに所属するポルトガルのロナウドは7番をつけています。代表でも7番です。

かつて所属していたマンチェスター・ユナイテッドやレアルマドリッドでも7番をつけていましたね。

個人タイトルもクラブや代表でのタイトルもいくつもとっている彼ですから、7番といえばすでにロナウドのイメージになっていますね。

一つ興味深いのは、マンチェスター・ユナイテッドのエースは10番ではなく7番をつけていることです。

90年代にユナイテッドを復活させたエリック・カントナや、あのデイビッド・ベッカムが7番をつけていました。

ユナイテッドでは10番よりむしろ7番の方が特別な番号なのかもしれませんね。

ちなみにロナウドつながりで言うと、すでに引退したブラジルのロナウドは、クラブでも代表でも10番ではなく9番をつけていました。

(西)ドイツのエースたち

ドイツ(西ドイツも含む)でも、ローター・マテウスなど10番をつけたエースはいます。

でもなぜか西ドイツ時代から10以外の番号をつけるエースが多いようです。

古くは爆撃機といわれたゲルト・ミュラーが13番。ミスターヨーロッパと言われたカール・ハインツ・ルンメニゲは11番。引退後にドイツやアメリカで代表監督も務めたクリンスマンは18番でした。

近年でもミハエル・バラックやトーマス・ミュラーが13番をつけるなど、エースが10番以外をつける傾向がありますね。

だからドイツの10番!と言ってもあまりイメージがわかないんですよね。むしろドイツの10は不遇!?なぜなんでしょう?

まとめ

サッカーのエース番号10について書いてきましたがいかがでしたでしょうか?

いまだにペレの影響って大きいですね。

あなたにとって背番号10といえば誰ですか?サッカー好きが集まったら話は尽きないでしょうね。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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