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火垂るの墓/おばさんは悪くないしいい人?嫌いという声についても考察

火垂るの墓

戦争の悲劇と兄妹の絆を描いた「火垂るの墓」は、観る者の心をえぐる名作として長く語り継がれています。

この物語に登場する「おばさん」は、ネット上で賛否が分かれるキャラクター。

「ひどい」「嫌い」という否定的な声がある一方で、おばさんには「悪くない」「むしろ現実的な判断をした」と評価する意見もあります。

この記事では、おばさんの言動やその背景を読み解きながら、戦争という極限状態で人はどのように生きようとするのか、人間性とは何かに迫っていきます。

感情と倫理、視点の違いによって分かれる評価の本質を見つめ、彼女が果たした役割について再考します。

 

「火垂るの墓」おばさんの登場と物語内での役割

親を失った兄妹を引き取るという決断

清太と節子の母が空襲で亡くなり、父の消息も不明となった時点で、ふたりは親戚筋であるおばさんの家に身を寄せます。

戦争下という過酷な状況の中で、他人(親族とはいえ)を迎え入れるのは並大抵の決断ではありません。

この時点で、おばさんには一定の責任感や人道的な感情があったことがうかがえます。

生活維持のための厳しさ

おばさんが清太に対して働くよう促したり、食事を制限したりする行動は、多くの視聴者から「冷たい」「非情」と受け取られがち。

しかし、このような態度は、自身と家族の生活維持を最優先する戦時下の現実の中での選択とも考えられます。

彼女もまた、限られた資源で日々を乗り越えなければならない立場だったのです。

一時的な庇護と距離感の表れ

寝床や食事を提供したり、衣類を分け与えるなど、最低限の支援は行っていましたが、それ以上の情的な関わりを持とうとしない態度も見受けられます。

これは、自己防衛的な距離感であり、感情を切り離すことで精神的な負担を減らす手段だった可能性もあるのです。

 

おばさんが「嫌い」という評価の理由

清太と節子への感情移入

多くの視聴者は、物語を通じて清太と節子に強く感情移入します。

とくに節子の健気さや弱りゆく姿は、多くの人の心を締め付けます。

その中で彼らを責め立てたり、冷たく扱うおばさんの存在は、自然と反感の対象となるのです。

これは感情的な視点による評価であり、理性よりも感覚に基づくものです。

作品演出による印象の形成

「火垂るの墓」の演出は非常に巧みで、登場人物の感情や表情を繊細に描きます。

おばさんは険しい表情が多く、語調も厳しく描かれています。

彼女を悪役とまでは描いていませんが、「共感しにくい人物」として視覚的・聴覚的に印象づける演出がなされていることは否めません。

現代の価値観とのギャップ

現在の社会では、困っている人に手を差し伸べること、弱者に優しくすることが美徳とされています。

その価値観で彼女の言動を見ると、「非道」「自己中心的」と感じる人が多いのも当然です。

しかし、戦争という異常な状況下での価値判断は、平時とはまったく異なるものであることも理解しなければなりません。

「火垂るの墓」おばさんは「悪くない」「いい人だった」とする声の根拠

戦時下の倫理観と現実的な選択

物資も人手も足りない中で、家族単位の生存が最優先される戦争時においては、非情に見える行動も合理的な判断の結果です。

清太に「働け」と言ったのも、ただ責めていたのではなく、自立して生き延びる手段を提示したとも解釈できます。

彼女なりの支援であり、現実的な手助けだったとも取れるでしょう。

最低限の支援と保護をした事実

完全に拒絶していたわけではなく、節子が病気になったときには薬を与えるよう助言する場面もあります。

生活に余裕があればもっと手を差し伸べられたかもしれませんが、限界の中でできることはしていたのです。

だからこそ「悪くない」とする声が一定数あるのも納得です。

感情的でない視点からの評価

大人の視点、もしくは客観的に作品を鑑賞する立場から見ると、おばさんは必ずしも「悪人」ではなく、「状況に適応した現実主義者」として映ることがあります。

彼女に感情を重ねないことで見えてくる「戦争の影響による人格の変容」が、理解のカギとなるのです。

「火垂るの墓」視点の違いと評価の分岐

子どもと大人、それぞれの見方

子どもから見れば、おばさんは「冷たくて怖い人」です。

しかし年齢を重ねるにつれ、生活の大変さや生存戦略の重要性に気づくことで、彼女の行動に共感する部分も出てきます。

視点の変化によってキャラクターの評価が大きく変わるのは、優れた物語の証でもあります。

感情と倫理のすれ違い

人間関係には感情と倫理の両面が存在します。

おばさんの言動が倫理的には「間違っていない」としても、視聴者の感情を傷つける行動であれば「嫌い」と評価されます。

このすれ違いが、意見の分裂を生み、作品への深い議論を促しているのです。

おばさんは人間らしいキャラクター

善と悪の間に存在するグレーな人物像として、おばさんは非常に人間らしいキャラクターです。

全てに正しく振る舞える人などおらず、戦争という極限下ではなおさらです。

彼女を通じて、「優しさとは何か」「共感とは何か」といった問いが立ち上がってくるのです。

まとめ

「火垂るの墓」に登場するおばさんは、善でも悪でもなく、戦争という非常時に生きる現実的な大人の象徴です。

彼女の言動が冷たく映るのは、視聴者の感情の動きと演出の影響によるものですが、一方で彼女の背景や置かれた状況に目を向けると、一定の理解を示す声があるのも自然な流れです。

子ども目線では「きらい」と感じられるかもしれませんが、むしろ人間味のあるキャラクターと言えるかもしれません。

判断は観客に委ねられていると言えます。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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