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リメンバーミ―/デラクルスはクズ!最後や忘れてやるの意味についても

リメンバー・ミー

「リメンバーミー」は家族や記憶の大切さを描いた感動的な物語。

その中で一際目立つキャラクター、エルネスト・デラクルスには多くの視聴者が憤りを感じたことでしょう。

彼の行動や最後のシーン、そして「忘れてやる」という言葉には、物語全体を通じて強いメッセージが込められています。

この記事では、デラクルスがいかにして視聴者に嫌悪感を与えたクズなのか?

最後のシーンや「忘れてやる」の意味についても解説していきます。

 

「リメンバー・ミー」のデラクルスがクズでひどい

もともとはヘクターと音楽活動をしていた

エルネスト・デラクルスは、もともとヘクターと一緒に音楽活動をしていました。

作詞・作曲はヘクターが担当でデラクルスはボーカル。

世界を回り音楽を演奏しに行きました。

ヘクターを引き留めることがむずかしくなったため殺害

ヘクターを引き留めることが難しくなったため殺害してしまうデラクルス。

帰れない日々が続くことになったヘクターは家族に会えないことに嫌気がさし、「帰る」とデラクルスに言い帰ろうとします。

ところが、納得がいかないデラクルスは、引き止めますが、帰る意思が固く、断り出て行こうとするヘクター。

すると、すかさずデラクルスは「最後に1杯やろう」と酒を差し出しました。

その酒を飲んで帰ろうと外に出るとお腹が痛くなりデラクルスは「チョリソーに当たったんじゃないのか」と言った瞬間ヘクターは倒れて死亡。

しかし、実際のところはデラクルスが酒に毒を盛りお腹が痛くなり死亡したのです。

その場面は、死者の国でデラクルスがヘクターと再会する場面で判明。

ヘクターが作った曲を自分のものとして売り出す

ヘクターが死亡した後、ヘクターが作った曲を自分のものとして売り出します。

その事実は、デラクルスとヘクターが再会した場面で明らかに。

「俺の名前を全く出さずに俺の歌を勝手に歌いやがって」とデラクルスに話します。

「リメンバーミー」も含め全ての曲はヘクターが作った曲。

デラクルスはそれを世間に公表もせず無断で使用し、あたかも自分が作ったかのように売り出し有名になったのです。

売れるために手段を選ばないデラクルスはクズ

売れるためには手段を選ばないデラクルスはクズです。

殺害までしてしまうのは、クズという言葉では終わらせられないほどの極悪人間。

最後に一緒に酒を飲む時、毒を盛った描写はありませんでしたよね。

そこで筆者なりにいくつかの考察をしてみました。

  1. 前々から帰る話はしていて、計画的に殺害
  2. 描写にはないものの、部屋に入る前から帰る話をしていて、ヘクターが来る前に毒を盛った。
  3. 帰ろうが帰らまいが殺害していた

筆者は③が一番辻褄が合うのではないかと思います。

帰らないとなった場合、あの酒はどうなったのかとも思うので・・・。

曲が作れるヘクターに嫉妬もあるし、邪魔な思いや、曲を作ってもらう手前何も言えない、でも言う事を聞いてくれないから殺害するのがちょうど良いとでも思ったのでしょう。

こう考えると更にデラクルスがクズ以上だとわかりますよね。

デラクルスのモデルは?

デラクルスのモデルは、メキシコの伝説的な歌手および俳優のペドロ・インファンテ。

メキシコの映画俳優および歌手であり、特にメキシコ映画の黄金時代(1930年代から1950年代)において非常に有名な人物です。

彼は多くの映画に出演し、ラテンアメリカ全域で人気を博しました。

映画

ペドロ・インファンテは60本以上の映画に出演しました。その中でも『Tizoc』、『Nosotros los pobres』、『Los tres García』などが代表作。

歌手としても大変人気があり、ランチェラ音楽やマリアッチ音楽の分野で多くのヒット曲を持っています。

音楽

彼の代表的な曲には「Amorcito Corazón」や「Cien años」があります。

賞と栄誉

『Tizoc』でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞し、またゴールデングローブ賞にもノミネートされました。

その魅力的な性格とカリスマ性で広く愛されたインファンテ。

彼の死は39歳で1957年の飛行機事故によるもので、メキシコ国内外に大きな衝撃を与えました。

デラクルスとインファンテが同じ点

  • メキシコの歌手・俳優
  • 人気だったところ
  • 若くして死を迎えるところ
  • 悲惨な死に方

しかし、クズなところは同じではありません。

 

「リメンバー・ミー」デラクルスの最後や忘れてやるの意味

生者の国でも死者の国でも巨大な鐘の下敷きになり死亡

デラクルスは、生者の国でも死者の国でも巨大な鐘の下敷きになり死亡しました。

生者の国では、1942年46歳で「リメンバーミー」の演奏中、ステージ上の大道具の巨大な鐘が落ちてきて死亡。

死者の国での最後は、まさにコンサートが始まろうとする時でした。

デラクルスを懲らしめようと作戦を実行しますが、逆にデラクルスに追い詰められてしまったミゲル達。

しかし、イメルダがこっそりスクリーンのスイッチを入れていて、ヘクターを殺した事を認める言葉と共に、ミゲルを崖から突き落とす姿がスクリーンに映し出され観客はドン引きしました。

最後はペピータに連れて行かれ、巨大な鐘の下までふっ飛ばされ押しつぶされて死亡。

生きていても死んでいてもその悪事は断ち切る事はできません。

因果応報、自分だけ幸せになろうだなんて上手く行くはずもありませんよね。

その後は生前の悪行が生者の国でも知られるように

その後は、生前の悪行が生者の国でも知られるようになりました。

今までデラクルスが積み上げて来た実績は、全てヘクターのものだったと世間に公表。

デラクルスのお墓はすべてヘクターのものに変えられ、英雄となったのはヘクターでした。

忘れてやるの意味

死者の日にみんなが歌い集うラストシーンで、デラクルスの銅像に「忘れてやる」との文字が記されていました。

その「忘れてやる」の意味とは、

  • リメンバーミー(思い出して)の反対語は忘れてやる
  • 忘れてやると書かれる前は「忘れない」と書かれていた
  • デラクルスのした事は忘れ難い出来事であるがため、世間に忘れるように示している。

これらの事から皮肉のように「忘れてやる」と記したのでしょう。

メキシコには2度の死という概念が存在

メキシコの文化には「2度の死」という概念が存在。

1度目の死は肉体的な死。

これは、誰もが経験する物理的な死。

この時点で、個人の心臓は停止し、肉体が機能しなくなります。

2度目の死は忘却の死。

これは個人が完全に忘れられた時に起こる死。

生者がその人の名前をもう口にせず、思い出さなくなった時、この第二の死が訪れると考えられます。

つまり、「忘れてやる」は故人からすれば、最も言われたくない言葉。

リメンバーミーは、メキシコの文化にそって作られた映画であるため、筆者は「忘れることは、最も悲しい、忘れられないように人生を全うし、故人を忘れずに敬い、しっかり供養しましょう。」という事を伝えたいのではないかと感じましたね。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

『リメンバーミ―/デラクルスはクズ!最後や忘れてやるの意味についても』でした。

「リメンバーミー」のデラクルスがクズでひどい

  • もともとはヘクターと音楽活動をしていた
  • ヘクターを引き留めることがむずかしくなったため殺害
  • ヘクターが作った曲を自分のものとして売り出す
  • 売れるために手段を選ばないデラクルスはクズ
  • デラクルスのモデルは、ペドロ・インファンテ

デラクルスの最後や忘れてやるの意味

  • 生者の国でも死者の国でも巨大な鐘の下敷きになり死亡
  • その後は生前の悪行が生者の国でも知られるように
  • 忘れてやるの意味は、デラクルスに対する皮肉

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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