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億男(映画)は意味不明で伝えたいことがわかりにくい?テーマ・主旨をわかりやすく解説

億男

2018年公開の映画「億男」。

主役は佐藤健さん、高橋一生さんという豪華コンビ。

さらに黒木華さん、北村一輝さん、藤原竜也さん、沢尻エリカさん、池田エライザさんら脇を固めるキャストも豪華です。

そんな「億男」ですが、視聴した方からは「意味不明」「何がいいたいのかわからない」という声があります。

何がいいたいのかわからないために、つまらないと感じている方もいるようです。

なぜ「億男」には「意味不明」とか「何がいいたいのかわからない」という声があるのか?

考察していきます。

さらに私が感じた「億男」のテーマや主旨をわかりやすく解説します。

 

「億男」が意味不明で伝えたいことがわかりにくい?

私も「億男」を観ました。

たしかに意味不明なところがあり、何がいいたいのか理解しにくかったです。

ぼんやり観ていたこともありますが(笑)、1度目では意味がわからず2度目の鑑賞で「なるほど!そういうことだったのか」と意味を理解することができました。

映画「億男」が「意味不明」「言いたいことがわからない」と言われるのには3つの原因があると感じました。

話が抽象的で現実離れしているため

まず1つ目の理由として話が抽象的で現実離れしていることが挙げられます。

この映画が問いかけているのは「お金と幸せ」の関係についてです。

3千万円の借金を抱えた主人公・一男が宝くじで3億円を当てます。

一男はどう使ったらいいかわからないので、ビジネスで大成功した旧友の九十九に相談しに行ったところ、そのお金を持ち逃げされた、という設定はむずかしいことではありません。

しかしその後九十九の行方を求めて、彼のかつての3人のビジネスパートナーを訪ね、彼らからお金と幸せについて話を聞くのですが、その話がとても抽象的でわかりにくいのです。

最初に会った百瀬(北村一輝)は一男に「金ってなんやの?金ってなんや?」と問いかけます。

一男が答えられないでいると「頭の中で3億円が行ったり来たりしただけのことだ」「さっき頭の中で行ったり来たりしたもんや」「ないもん信じ切ったり舞い上がったり落ちたり、金いうもんはしょせんそんなもんちゅうこっちゃ」といった表現で説明します。

お金が頭の中で行き来するもの、という発想自体が一般の方(少なくとも私には)にはないと思われますし、表現自体が抽象的でとてもわかりにくく感じました。

次に会った千住(藤原竜也)は、「夢実現セミナー」を開いたり「ミリオネアニューワールド」の教祖を務めたりする人物で、百瀬以上に抽象的な表現でお金について説明します。

自分が主催するセミナーでお金を「こんな紙切れ」と呼び「お金から開放されろ」と、参加者に財布からお金をばらまかせるように仕向けます。

後でその金を回収すると、一男に「これゴミだ。ゴミに1万円の価値を見出すものを入れば、ゴミにしか見えないものもいる」と、いかにも宗教団体の教祖らしい詭弁を言います。

「お金と幸せ」についての話が百瀬以上に抽象的で、さらに意味不明になっています。

ただお金について言葉遊びをしている印象しかありませんでした。

新興宗教なんてそんなもの、言えばそれまでですが、この話をきちんと理解できる視聴者はほとんどいないでしょう。

一男が最後に会った安田(沢尻エリカ)は言っていることは3人の中では一番まともに聞こえました。

ただ全財産を現金にして部屋に隠して生活する感覚はとても理解できませんでしたが。

とにかく「お金と幸せ」を考える上で百瀬と千住の話はあまりに抽象的で現実離れしています。

そのため「意味不明」とか「わからない」という感想になっているのだと考えます。

落語の「芝浜」に絡めた話がわかりにくいため

2つ目の理由は落語の「芝浜」に絡めた話がわかりにくいことが挙げられます。

「億男」は落語の「芝浜」を用いて「お金と幸せ」を説明する場面が出てきます。

一男と九十九の電車内での会話です。

一男が「芝浜なんだろ?俺が大金を手にしても、舞い上がらないように、おかしな事にならないようにって」というと、電車を降りた九十九が「夢になるといけねえ」と言います。

「夢になるといけねえ」は、落語の演目「芝浜」で主人公勝太郎が最後に言うセリフです。

「億男」の原作者は「芝浜」を通して「お金と幸せ」について説明しようとしています。

学生時代落研に入っていた九十九の得意な演目も「芝浜」で、劇中で「芝浜」を披露するシーンがあります。

 

しかし落語の場面は断片的にしか映していないため、視聴者は「芝浜」の内容を十分に理解することができません。

落語に詳しくない方は電車内での二人のやり取りや、九十九のセリフ「夢になるといけねえ」の意味を理解することができないのです。

少なくとも私は最初に見たときは「夢になるといけねえ」の意味が理解できず、映画のテーマとも絡めて考えることができませんでした。

「億男」が意味不明といわれるのはここにも原因があると考えられます。

なお落語「芝浜」のあらすじと九十九の最後のセリフ「夢になるといけねえ」の意味については以下の記事で詳しく解説しています。

>>>関連記事:億男で九十九の最後のセリフの意味とは?落語の芝浜との関係から解説

お金を持っている人の話ばかり聞かされるため

「億男」が「意味不明」と言われる3つ目の理由として、お金持ちばかりの話ばかり聞かさせることがあります。

この映画に出てくる人は基本的にみんなお金を持っています。

九十九、百瀬、千住、安田は大成功したバイカムを売却し大金を手に入れました。

普通に働いたのではとても手にすることができない大金です。

そんなお金持ちの登場人物から「お金とはこういうものだ!」と説明されても、「なるほど!」と感じる事はできませんでした。

少なくとも私は。

こんな事を言ってしまっては元も子もありませんが、上から言われてようなものなのです。

しかも百瀬、千住、安田の3人は、大金を手にした後かなり胡散臭い生活を送っていますからね。

そのため私のように平均的な収入を得てそれなりの生活をしている人の多くは、わかったつもりになっているだけで本当は意味不明という方も多かったのではないでしょうか。

「お金とはこういうものだ」なんてことを考えられるのは、ある程度お金を持っているからでしょうし、金持ちからお金について説明されても実感に乏しい方が多かったのでは、と感じています。

「億男」が意味不明というのには、こんな理由もあるのではと考えています。

「億男」のテーマ・主旨をわかりやすく解説

「億男」が伝えたいことについて、私自身が十分に理解できたかというと自信はありません。

それでも私なりに考えたことについて簡単にまとめてみます。

お金では買えない大切なものがある

「億男」が問いかけていることは「お金と幸せの答え」についてです。

この映画を見た方の多くは、お金と何か?に対する九十九の考え、つまり「信用」を答えとしてあげているようです。

私はもっとかんたんな言葉で映画が伝えたかったことを考えてみます。

ありふれた言い方ですが、「生きていくためにお金は必要。でもお金では買えない大切なものがある」ということです。

ラストシーンで見えた一男の成長

映画のラストシーン。

一男が別れた妻と子どもが住むアパートに子ども用の自転車を届けるシーンがありました。

3億円を手にして借金も返し、それでも手元に大金がある一男ですが、結局は家族を失うことになります。

彼は離婚前に娘のバレエ教室の件も含め、すべての物事をお金で考えるようになってしまっていました。

一男の妻はお金に振り回されるようになった一男とは暮らせない、と離婚を申し出ました。

妻子と別れたことでようやく一男は家族や愛、幸せな生活はお金では買えないことを悟ります。

それまではお金さえあれば家族と幸せに暮らすことができると思っていたにもかかわらず、です。

それでも映画の最後に、一男が娘に自転車を届けたシーンから、彼のわずかな成長を見ることができました。

大金を手にした一男にとって、あの自転車はほんのわずかな出資です。

しかしあの自転車に込められた一男の娘に対する愛情は、お金ではかれるものではありません。

娘にとってもその自転車は計り知れない価値があると言っていいでしょう。

「あのお金を使った最初の買い物です。気にいるかどうかわかりませんが、置いていきます」と書かれた一男の手紙を見て、別れた妻もうれしそうな表情をしていました。

一男の娘を思う気持ちがうれしかったのでしょう。

お金では買えない大切なものをあることを学んだ一男の姿こそが、この映画が伝えたかったことだと私は感じました。

まとめ

「億男」が意味不明と言われるのは

  • 話が抽象的で現実離れしているため
  • 落語の「芝浜」に絡めた話がわかりにくいため
  • お金を持っている人の話ばかり聞かされるため

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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