私は栃木県日光市の出身で、今は栃木県宇都宮市に住んでいます。この2つの市には「二荒山」と名の付く神社がそれぞれあります。
日光市には東照宮、輪王寺とともに世界遺産に登録されている日光二荒山神社(正式には二荒山神社)。宇都宮市には中心市街地に宇都宮二荒山神社(正式には二荒山神社)。
最初に書いておきますがこの2つの神社はまったく関係がありません。
読み方もご利益も、祭神も由来もまったく違う神社なのです。
そこでここでは日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の読み方やご利益、歴史や祭神、由来の違いについてまとめました。
目次
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の読み方
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社は同じ「二荒山神社」というは名前ですが、読み方が違います。
- 日光二荒山神社・・・ふたらさんじんじゃ
- 宇都宮二荒山神社・・ふたあらやまじんじゃ
地元に住んでいながら、私はどちらの名前も同じく「ふたらさんじんじゃ」と読んでいました。おそらく地元でも同じような間違いをしている人はかなり多いはずです。
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社のご利益の違い
次に日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社のご利益の違いを解説します。
日光二荒山神社は商売繁盛、子宝、安産などさまざまなご利益がありますが、特にすごいのが縁結びです。
境内には縁結びのご神木がたくさんあり、特に神門手前の右側にある杉と楢(なら)の宿木は縁結びの木として有名です。
「杉楢いっしょ(すぎならいっしょ)に」から転じた「好きならいっしょに」という語呂合わせがあるからです。
いい出会いを求める女性(男性ももちろん)はぜひお参りしたいパワースポットです。
宇都宮二荒山神社には12の末社がお祀りされ、学問、豊穣、商業、疫病封じ、安産などさまざまなご利益が期待できます。
特筆すべきは主祭神・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)のご利益です。
豊城入彦命は武徳(武士として守るべき徳)にすぐれていたと言われており、武芸やスポーツをやっている方はご利益が期待できます。
前九年・後三年の役で活躍した源頼義・義家親子や、治承・寿永の乱(源平合戦)で勝利した源頼朝、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康がこの地をお参りしたのはこのためです。
ですから武芸やスポーツなどに励む方はぜひお参りましょう。
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の歴史や起源の違い
次に日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の歴史や起源の違いをご紹介します。
日光二荒山神社の創建は767年(神護景雲元年)。山岳修行の場を求めた下野国の僧・勝道上人が日光男体山(二荒山)に祠を建てたことが始まりとされています。この祠が現在の日光二荒山神社の別宮・本宮神社に当たります。
そして782年(延暦元年)に日光男体山(二荒山)山頂に登頂。ここに奥宮を建て、この地での山岳修行の基礎を作りました。
なお日光二荒山神社の名前の由来についてですが、その昔、神の住む補陀洛山(フダラクサン)と呼ばれていた日光男体山が変化してフダラク、さらにフタラとなり、二荒の漢字が当てられたと言われています。ただし由来には諸説があります。
一方の宇都宮二荒山神社の創建について神社に問い合わせたところ、第16代仁徳天皇の時代(今から約1600年前)に、豊城入彦命を下之宮(現在の地より少し南側)に祭神として祀ったのが始まりで、その後838年(承和5年)に現在の地に神社が遷された、ということです。
ただこの神社は何度も火災や戊辰戦争(宇都宮城の戦い)などで資料が焼失してしまい、いつ頃から信仰があったかははっきりせず、838年に現在の地に神社が遷されたということは、資料にはっきり残っているということでした。
歴史や起源を見るだけでも日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社がまったく別の神社であることがわかりますね。
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の祭神の違い
日光二荒山神社は日光三山に次の三柱の神さまを祀っています。
- 男体山・・・大己貴命(おおなむちのみこと)
- 女峰山・・・田心姫命(たごりひめのみこと)
- 太郎山・・・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
こちらの三神は二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)と称されています。またこれらの三山は神が宿る 神体山として信仰されてきました。
宇都宮二荒山神社は
- 主祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
- 相殿:大物主命(おおものぬしのみこと)
- 相殿 :事代主命(ことしろぬしのみこと)
の三柱の神さまを祀っています。
主祭神の豊城入彦命は第10代崇神天皇の第一皇子で、古事記には上毛野君・下毛野君の始祖と記録されています。
主祭神は武徳(武士として守るべき徳)にすぐれていたと言われています。
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社、どっちが格上?
日光二荒山神社と宇都宮二荒山についてさらに踏み込んで検証してみます。どちらが格上か?ということです。
第2次大戦後GHQの指導により、それまであった神社の社格は廃止されましたが、古くからの格式の考え方が今でも残っています。
日光二荒山神社の旧社格は国幣中社。対する宇都宮二荒山神社の旧社格も国幣中社。
つまりこの点で比較するとまったく同じということです。
次に一宮、二宮、三宮など平安後期から中世にかけて定められた社格では、日光二荒山神社が下野国一宮。宇都宮二荒山神社も下野国一之宮。
こちらも同じ社格です。
実際に両神社とも「うちの神社が下野国一宮の大社である」と主張しており、社格については決着していないようです。
いずれにしてもすでに神社の社格は廃止されましたし、どちらの神社も信仰を集めて参拝客に親しまれているので、それで十分なのでは?という気もします。
ただ今度お参りするときは、2つに神社の違いについてもう一度理解して参拝するつもりです。
栃木県内には多数の二荒山神社が存在していた
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の違いについて調べていたところ、意外な事実がわかりました。
栃木県内には日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社以外にも、二荒山神社(または二荒神社 )がいくつも存在するということです。
例えば鹿沼市にある古峰原神社に行く途中に二荒山神社がありますし、日光市文挟町にも二荒山神社があります。
栃木県内には正確にはわかりませんが、20近くの二荒山神社があるということがわかりました。
しかも栃木県内にとどまらず、福島県、茨城県、群馬県、新潟県にも二荒山神社(または二荒神社、二荒社 )が存在するのです。
二荒山神社や二荒神社は昔の下野国(現在の栃木県)の神である二荒神に関係する神社です。
二荒神を祀って建てられた、または二荒神を勧請して建立された神社です。
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社は、下野国の神・二荒神を祀ってはいません。
しかし宇都宮二荒山神社は火災により古い資料は消失して、由来や歴史についてわからないことも多くあります。
もしかすると二荒神とどこかでつながっているのでは?という疑問もわいてきました。
二荒神と日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の関係については、今後新しいことがわかり次第記事を書いていきます。
まとめ
日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社の違いを
- 読み方
- ご利益
- 創建の歴史や由来
- 祭神
の点から見てきました。
今度参拝する前にはこれらの点をしっかり理解していきたいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました!