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天気の子の陽菜の最後の祈りの理由は?大丈夫だの意味についても

天気の子

映画「天気の子」の終盤、高校を卒業した森嶋帆高は大学に入学するために上京。

立花冨美の家と須賀圭介の事務所を訪れた後、田端駅近くにある天野陽菜の家に行きます。

すると、そこには天に向かって祈りを捧げる陽菜の姿がありました。

陽菜は何を祈っていたのでしょう?

またラストで帆高が言った「僕たちは大丈夫だ」には、どんな意味があるのでしょうか?

今回は「天気の子」のラストシーンに注目して、以下の2点について考察します。

  • 陽菜の最後の祈りの理由や意味
  • 帆高の「僕たちは大丈夫だ」の意味

 

「天気の子」陽菜の最後の祈りの理由・意味を考察

ここでは、陽菜の最後の祈りの理由や意味について考察します。

陽菜はすでに”晴れ女”ではなかった

まず前提として確認しなければならないことは、ラストシーンの時点で陽菜はもう”晴れ女”ではない、ということです。

物語の後半、人柱となった陽菜は空に昇ってしまいますが、帆高が助けにいったことで、地上に戻ります。

そして鳥居の下に倒れているときには、チョーカーが切れていました。

チョーカーは空と陽菜をつなぐ役割をしていたと考えられますが、チョーカーが切れたことで、空と陽菜のつながりも切れます。

つまり陽菜は”晴れ女(天気の巫女)”ではなくなったのです。

したがって、ラストの時点でも陽菜は”晴れ女”ではないし、晴れにする能力もないと考えられます。

 

なお陽菜のチョーカーが切れる意味については、以下の記事で詳しく解説しています。

陽菜が祈る理由は2つ

個人的な考察ですが、ラストシーンでの陽菜の祈りには2つの理由・意味があると考えています。

  1. 多くの人の幸せを願って祈った
  2. 雨が降り続いていることに責任を感じて祈った

順に解説します。

多くの人の幸せを願って祈った

1つ目の理由は、多くの人の幸せを願って、陽菜は祈りを捧げていたというもの。

初めての晴れ女の仕事で、お台場のフリーマーケット会場を晴れにした陽菜は、帆高や凪といっしょに仕事が成功したことを喜びます。

その後も陽菜は依頼者の要望に応え、天気を晴れにしていきます。

 

そして神宮外苑花火大会を晴れにした時には、「私、この仕事好きだな、晴れ女の仕事」と話していました。

晴れ女のサービスを通して、陽菜は天気が晴れることで多くの人が幸せになることを知ったのです。

エンディングでは、晴れにする能力を失ってはいますが、陽菜は東京を晴れにすることで、多くの人を幸せにしようとしていたと考えられます。

雨が降り続いていることに責任を感じて祈った

2つ目の理由は、雨が降り続いていることに責任を感じて祈ったというもの。

”晴れ女”ではなくなったことで、陽菜は天気を晴れにできなくなってしまいます。

雨続きでは人の心は晴れません。

雨が続いているのは自分が”晴れ女”でなくなってしまったため、と考えた陽菜は、責任を感じて晴れるように祈っていたのではないでしょうか。

とはいっても天気は自然現象でもありますし、陽菜は自ら望んで”晴れ女”になったわけでもありません。

だからそこまで責任を感じる必要はありませんが、責任感が強い陽菜は自分のせい、と思ってしまったのかもしれません。

ラストシーンの帆高の「大丈夫だ」の意味を考察

ラストシーンで、帆高が陽菜に「僕たちは、大丈夫だ」と言った意味や理由を考察します。

「大丈夫」は作品のキーワード

お気づきの方も多いと思いますが、「天気の子」には「大丈夫」というセリフが何度か登場します。

例えば、警察が陽菜のアパートに訪れた後、陽菜は帆高に「補導される前に実家に戻った方がいい。帰る場所があるんだから」。

続けて「私たちは大丈夫だから」と陽菜は言います。

しかも、挿入歌にRADWIMPSの「大丈夫」が使われていますしね。

「大丈夫」というのは、作品のキーワードの一つになっていると言っていいでしょう。

陽菜と一緒に生きるという帆高の強い意志の表れ

「僕たちは、大丈夫だ」には、陽菜と一緒に生きるという帆高の強い意志が込められている、と感じられます。

東京が大雨に見舞われたとき、帆高は多くの人々ではなく、陽菜という一人の人を選びます。

このときの帆高の心境は、「小説天気の子」にはこのように描写されています。

僕たちが変えたんだ。

あの夏、あの空の下で、僕は選んだんだ。

青空よりも陽菜さんを。

大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。

そして僕たちは願ったんだ。

世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

須賀のようにほとんどの大人は、だれか一人が犠牲になることで、自分たちみんなが平穏に暮らせる方法を選ぶはず。

ですが帆高は違いました。

たとえ世界の形を変えようとも、自分にとって一番大切な陽菜を選んだのです。

「僕たちは大丈夫だ」には、帆高の決意表明と言ってもいいのではないでしょうか。

Weathering With You とも関係

「僕たちは、大丈夫だ」は、「天気の子」の英語のタイトル「Weathering With You」とも関係していると考えています。

英単語のweatherには、自動詞で「切り抜ける」の意味があります。

よってWeathering With Youは、「君と一緒に切り抜ける(乗り越える)」の意味に。

「僕たちは、大丈夫だ」には、「僕たち一緒なら、どんなことでも乗り越えていける」という、陽菜へのメッセージだと考えられます。

RADWIMPSの「大丈夫」の歌詞とも関係

「僕たちは、大丈夫だ」は、RADWIMPSの曲「大丈夫」の歌詞とも関係しています。

「大丈夫」は「君の名は」の挿入歌ですね。

映画のラストシーンの演出に悩んでいた新海誠監督は「大丈夫」を聞いて、「ぜんぶここに書いてあるじゃないか」と衝撃を受けます。

そして監督は、歌詞をもとにラストシーンのコンテを描き、「大丈夫」をそのシーンに当てます。

君にとっての「大丈夫」になりたい、という歌詞には、この経験を通して大人になった帆高の強さを表していると考えられます。

まとめ

この記事では「天気の子」のラストシーンに注目して、陽菜の祈りや帆高の「大丈夫」の意味を考察しました。

陽菜の祈りの理由は

  • 多くの人の幸せを願って祈った
  • 雨が降り続いていることに責任を感じて祈った

帆高の「僕たちは大丈夫だ」の意味は

  • 陽菜と一緒に生きるという帆高の強い意志の表れ
  • Weathering With You とも関係しており、僕たちは一緒なら大丈夫だという意味
  • RADWIMPSの「大丈夫」の歌詞とも関係している

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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