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「マチネの終わりに」感想!映画と小説の比較や不満点・原作超えしていない理由も

2019/11/06
 
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映画「マチネの終わりに」を公開初日の朝一番で観てきました!

ネタバレ込みの感想を書いていきます。

私は原作小説を2回読んだ上で映画を観ました。

そのため原作との比較を含めた感想が多くなるかと思います。

いきなり結論を書きますが、映画は原作を超えることはできなかったというのが率直な感想です。

一言でいうと「物足りない!」。不満が残る内容でした。

もちろん評価できる点もあるので、合わせて書いていきます。

 

 

「マチネの終わりに」感想!評価できる点について

適材適所のキャストとすばらしい演技

「マチネの終わりに」のキャストについてはかなりよかったです!

ミスキャストはなく適材適所という印象でした。

映画を見る前、50歳の福山雅治さんと石田ゆり子さんのラブストーリーに不安があったことは事実です。

原作では蒔野38歳、洋子40歳という年齢で物語が始まりますからね。

でもスクリーンに映る主演2人をみて、その不安はすぐに吹き飛びました。

映画は石田ゆり子さんが歩く姿を後ろからとらえた映像から始まりますが、振り返ったときの表情がとても若々しくかわいらしくて、一瞬で魅了されてました!

洋子が初めて蒔野に会い、蒔野が洋子の気持ちを代弁し「過去は変えられる」という話をするシーンがあります。

自分のことを蒔野に理解してもらえ、その後打ち解けていく過程の演技もすごくよかったです。

また私は男ですが、福山さんの今の年齢にしか出せない男の色気も感じることができました。

特に印象に残った演技はギターの演奏シーンです。

音楽をやっているとはいえ、天才クラシックギター奏者の演奏シーンを演じるのは福山さんでも容易ではなかったはずです。

でも手の動きや体全体の使い方、表情などどれをとっても美しく、すばらしい演技を堪能することができました。

2人のキスシーンも自然に気持ちが盛り上がった様子がよく現れており、見とれてしまいました。

脇を固める方たちも申し分なし!

蒔野の師匠の祖父江を演じた古谷一行さんはもともと好きな俳優でしたが、渋い演技で映画に深みを与えてくれました。

ただリチャード役の伊勢谷さんはかっこよすぎじゃないかな。

もうちょっと3枚目の方がやったほうが、蒔野との対比が際立ってよかったのではと感じました。

桜井ユキの演技に脱帽するしかない

私は「マチネの終わりに」で桜井ユキさんの演技に一番期待していました。

桜井ユキさんが演じた三谷早苗は蒔野と洋子の仲を引き裂いた人物で、小説で大バッシングを受けたキャラクター、いわばアンチヒロインです。

だれもが憧れる洋子とは対称的な人物でもあります。

その三谷を桜井ユキさんがどう演じるか、楽しみにしていました。

ちなみに私は桜井ユキさんの演技をこれまで観たことがありませんでした。

映画の序盤、控室から出てきた蒔野と外で待つ洋子が初めて出会う場面。

2人はすぐにビビッと感じ一瞬で恋に落ちるのですが、その様子を見逃さず、すぐさま嫉妬の表情を浮かべる演技はさすがでした。

洋子に偽メールを送る場面では「やってはいけない。でも蒔野とこの女に絶対に一緒になってほしくない」という苦悩がよく現れていましたし、その後偽メールがいつバレるんじゃないか、とビクビクした演技もよかったです。

わたしの人生の目的は蒔野なんです!」というセリフには、蒔野を本気で愛する妻の本気の覚悟がじつによく現れていました。

早苗の行動や心理描写について、映画と小説ではかなり異なって描かれています。

しかし桜井ユキさんが早苗を演じたことで、小説の早苗とは違った評価がされるのではないかと思っています。

小説を読んだ方の中には、むしろ早苗に理解を示す方も出てくるのではないでしょうか?

桜井ユキさんの出番がもうちょっとあったら、と思うくらい見事な演技でした。

「マチネの終わりに」の映像と音楽について

映画「マチネの終わりに」でもっとも評価すべきは映像と音楽でしょう!

まず映像についてです。

コンサートホールでの映像はとても本格的で、福山さんの演奏パフォーマンスも含め圧倒される迫力がありました。

パリ、ニューヨークの街並みもすごくきれいで、束の間ですが現実を忘れることができる時間を過ごすことができました。

特に2人が再会する11月のセントラルパークの紅葉はきれいで、再会の舞台にぴったりでした。

映像以上によかったのは音楽です。

随所に使われるクラシックギターの音色が耳に心地よく、プロのギタリストが主人公の映画にふさわしい演出でした。

小説は音楽に関する表現がとても多いのですが、音楽に詳しくない人からすると言葉だけから音をイメージをすることはできません。

しかし映画では音があり、それがとても美しく、映像に深みを与えていた印象があります。

特にこの映画のために作られた「幸福の硬貨」は大人の2人の恋にピッタリ合っていて、2人の切ない気持ちを感じることができました。

「マチネの終わりに」の不満点:映画と小説の比較も含めて

ここまでは映画「マチネの終わりに」について評価に値することを書いてきました。

ここからは映画の不満点について書いていきます。

繰り返しますが、私は2回原作小説を読んだ上で映画を観ました。

そのため小説と比較しながら映画を観てしまいました。

ですのでここからは小説を読まずに映画を観る方にはあまり参考にならないかと思います。

主人公2人の心理描写が圧倒的に足りない

小説を読んだ上で映画「マチネの終わりに」を観ると、主人公2人の心理描写がまったく足りていないと感じました。

おそらく小説を読まなくても、私は同じように感じたのではないかと思っています。

コンサート後に2人が出会い、すぐに惹かれ合い、打ち上げの後名残惜しそうに別れる。

メールやスカイプでやり取りする中でさらにその関係が深まっていき、3回目に会った時には洋子はリチャードとの婚約は破棄して蒔野といっしょになる決断をし、その後洋子は蒔野に会うために東京に向かう。

ここまで、つまり2人が惹かれ合う過程ではある程度の心理描写がされていたように思います。

しかし別れてから再会するまでの2人の心の描写がかなり物足りなかったと感じました。

小説では偽メールをもらった後の洋子の複雑な心境や、話が伝わらず説明しようとするのになかなか会えずヤキモキする蒔野の心境。

また別々の人生を歩んでから、ことあるごとに相手を思い出し、今の人生は本来ある人生とは違う道を歩んでいるのではないか、とそれぞれが苦悩する心の描写がとても繊細に描かれていました。

また2人とも相手にもう一度会って、心ゆくまで話したいと強く思っていたことがはっきりわかるよう描写されていました。

映画ではその辺がほとんど表現されておらず不十分で、今ひとつ主人公2人にに感情移入することができませんでした。

2時間の映画に小説のあれだけ細かい心理描写をどのように入れるか、注目していましたが残念でした。

洋子はただきれいなだけの女でいいのか?

小説「マチネの終わりに」の洋子はスーパーウーマンです。

英語、フランス語に加えドイツ語やラテン語など他の言語もでき、ジャーナリストととしても優秀。

上司の期待以上の仕事をしてしまうほど優秀です。

上司のリチャードや父親のソリッチとの会話の内容も知的で上品です。

また文学や芸術に造詣が深く、その上美人です。

すべての女性の憧れだと思いますし、男から見たらあんな女性と一度でいいから付き合ってみたいと思う対象です。

しかし映画での洋子は単にきれいなジャーナリストにとどまってしまっています。

残念ながら小説ほどのスーパーウーマンではありませんでした。

石田ゆり子さんのキレイさ、若々しさ、美しさに助けられていますが、洋子自身が持つスーパーな部分はさほど見られることなく描かれています。

強いてあげれば英語とフランス語が操れることくらいでしょうか。

知的な部分や仕事ができるところは見ることができませんでした。

天才蒔野には単にきれいな女性では釣り合いが取れず、小説のようなスーパーウーマンの洋子だからこそふさわしいのです。

小説の洋子を知っていると、本当に物足りなさが残ります(断じて石田ゆり子さんのせいではない)。

洋子がただのきれいな女性で終わったことがとても残念でなりませんでした。

蒔野はなぜ早苗と結婚したのか?

私は小説を読んだときにも、洋子と別れた蒔野が早苗と結婚した理由が今ひとつ納得できませんでした。

映画ではどうだったかと言うと、納得も何もありません。

というのは洋子と別れた後、すぐに場面は数年後に移り、そこではすでに早苗と結婚して娘までいるのですから。

早苗が蒔野を好きだったことはわかります。

どういう過程で洋子を失った蒔野が早苗と結婚したのか?

れまで恋愛対象として見ていなかった早苗をどんなふうに思い、結婚までいたったのか?

蒔野にとって早苗は洋子の代わりに過ぎないのか?

年齢を考えて諦めの気持ちを持って結婚したのか?

それとも本当に好きになって結婚したのか?

それがすっぽり抜け落ちてしまっています。

蒔野の心には運命的な出会いをした洋子がずっといました。

ならば早苗と結婚するときにも葛藤はあったはずです。

ついでにいうと、結婚後蒔野は早苗をどう思い続けているのか?

子どもが生まれた時、どう思ったのか?妻子への愛はどのくらいあるのか?

これらについてもまったくわからず、あまりにもサラッとした印象で、盛り上がる場面へ向けて物足りなさが残りました。

ラストのコンサートはあっさりしすぎ

主人公2人の心理描写が足りないことは先に書きました。

中でも一番私が不満に思ったのは、ラストのコンサートでの洋子の心理描写の足りない点です。

小説では洋子は蒔野のコンサートに行くべきか、行くべきでないか?

また会場に足を運んだあともこのあと蒔野に会うべきか、それとも会わずに帰るべきか?

さらに蒔野の演奏が永遠に続くことを願いつつ、会っていはいけないと思う心の有様が手にとるように書かれていました。

映画では早苗が洋子のコンサートに来てください、とお願いしています。

設定が違うので比較はむずかしいですが、単に蒔野が最後に「幸福の硬貨」を演奏し、それを聞いた洋子が涙を流すだけで終わっているのが、とても残念でなりません。

個人的な好みですが、小説の再会前のコンサート中の洋子の心の変化の描写。

そして観客席に洋子がいることに気づいた蒔野が舞台から洋子を誘い、最後に洋子のために「幸福の硬貨」を演奏するシーンが一番好きなのです!

あの場面の2人の心理描写、何回読んでも涙が出ます!

それなのに映画では蒔野が演奏し洋子が泣く。

これだけで終わっているのがなんとも残念で、盛り上がりに欠けた印象が否めませんでした。

映画が原作超えできなかった理由は?

私は映画「マチネの終わりに」は原作を超えられなかったと思っています。

小説には小説の、映画には映画のよさがあることは十分承知しています。

それぞれに違った楽しみ方をすればいいのかもしれませんが、小説を読むとそれが一つの基準となるので、比較するのは人情だと思います。

なぜ超えられなかったのか?

それは小説が見事だったからにほかなりません。

小説では蒔野の天才ゆえの苦悩や洋子に会えない苦しみや会いたい欲求、結婚後もずっと洋子を思い続ける気持ちが細かに綴られていました。

それは洋子にしても同じですし、早苗にしても同じです。

セリフ以外の心理描写が絶妙で繊細、とても細かいのです。

それを映像にした時、今回のような一流の俳優・女優が演技しても、表現しきれていないと感じました。

映画がそこまで悪いとは思いません。

しかし小説と比較してしまうと「こんなもの?」で終わってしまった印象が拭えませんでした。

繰り返すと鑑賞後の第一印象は「物足りない」です。原作がよかっただけに残念でした。

まとめ

映画を見た方のTwitterを読むと、評価する声が多いことがわかります。

私はそれとはちょっと違い、映像、音楽、キャストの魅力など評価する点はありますが、全体的にはかなり物足りない印象でした。

ただもう一度小説を読み、映画を観るつもりです。

そうすることでまた違った見方ができると思いますから。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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