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「マチネの終わりに」なぜ三谷早苗に共感するのか?感情移入や支持する理由を考察

マチネの終わりに

大人の恋愛を描いた平野啓一郎の「マチネの終わりに」。

恋愛だけでなく芸術、音楽、経済、政治、民族紛争、テロリズムや人が持つ醜さ、天才ゆえの苦悩など様々な要素を盛り込んだ作品です。

さて、この作品の登場人物・三谷早苗は蒔野と洋子の仲を引き裂きました。

そのため「許せない!」「マジありえない!」など非難が殺到したキャラクターです。

私も小説、映画どちらにおいて一貫して洋子派で、早苗に大激怒した1人です。

その一方で少数派ですが、三谷早苗を擁護したり、彼女に共感したりする声もあります。

なぜ人の道にもとる行為をした三谷早苗に共感する人がいるのでしょうか?

ここでは三谷早苗になぜ共感するのか、その理由を考えてみます。

なおこの記事は小説で描かれた三谷早苗について述べていきます。

そのため映画のみをご覧になった方には伝わりにくいかもしれませんが、ご了承ください。

 

「マチネの終わりに」三谷早苗に対する賛否の声まとめ

三谷早苗に対して世間がどんな印象を持っているか調べました。

まず「許さない」「ムカつく」など、三谷早苗を否定する立場の意見からご紹介します。

三谷早苗を否定する声

怒る人はめっちゃ怒ってますね(笑。

三谷早苗にムカついて、途中で小説を読むのをやめた人がいるのには驚きます。

あそこから一気に物語がおもしろくなるのに(笑。

それに対して三谷早苗を擁護したり共感する声も少なからずあります。

三谷早苗に共感する声

このように三谷早苗に共感したり、支持したり、彼女に惹かれたりする声は少なくありません。

「マチネの終わりに」は毎日新聞朝刊及びnoteに掲載されましたが、noteに届いた声の2割程度が早苗を理解できる、共感できるというものだったそうです。

なぜ蒔野と洋子にあれだけひどいことをした三谷早苗に人は共感するのでしょうか?

 

「マチネの終わりに」なぜ人は三谷早苗に共感するのか?

だれもが持つ人間の醜い側面が垣間見える

蒔野に密かに惹かれていた早苗が、蒔野のケータイから洋子に別れのメールを送ったのは彼女の激しい嫉妬心からでした。

早苗から見た洋子は完璧な女性。

キレイで華々しく仕事もでき、自らが主役の人生をなんの問題もなく歩いています。

しかも蒔野と出会った瞬間に彼の心をつかみ、愛情を独り占めにします。

蒔野と洋子はお似合いのカップルで、だれからも祝福されるに違いありません。

それに対して早苗は蒔野のマネージャーに過ぎません。

 

蒔野ほどの音楽家のマネージャーを務めるのですから有能なことは間違いありませんが、周囲から見たら、早苗は没個性の女性です。

そんな早苗が洋子に激しく嫉妬するのは仕方がないかもしれません。

その嫉妬心は紛れもなく醜い感情。

人が持つ感情の中で「嫉み」「妬み」はもっともイヤな感情ではないでしょうか。

怒りもマイナスの感情ですが、怒りによって自分にむち打つことができますし、がんばる原動力にすることもできます。

決して悪いことばかりではありません。

しかし嫉妬心にはそうしたいい側面はなく、どこまで行っても悪いことばかりです。

そんなイヤな感情の嫉妬心を回りの友達や恋敵に持った経験は、きっとだれもがあると思います。

そして「そんなつもりはなかったけど、やっちゃった」という具合に、嫉妬にかられてつい人の足を引っ張った経験があるのではないでしょうか。

早苗ほど酷くはないにしても。

そう考えると早苗の醜い側面はすべての人間に共通するものと言えます。

人は生きていれば、程度の差こそあれだれでも罪を犯します。

罪を犯さず生きていくことなんてだれもできません。

早苗の「罪の総量」という発想はいささか都合がいい考えですが、早苗が持つ人としての醜さや罪を犯す心はだれもが持っているものです。

そう考えると早苗だけを責めることはできなくなります。

こんな考えを持つ方は早苗を擁護したり共感したりしても不思議ではないかもしれません。

「名脇役になりたい」に共感

みんな、自分の人生の主役になりたいって考える。それで、苦しんでる。

自分もずっとそうだったけど、今はもう違う。

蒔野さんの担当になった時、わたしはこの人が主役の人生の”名脇役”になりたい。

引用元:「マチネの終わりに」

早苗はこんな考えを持っていました。

蒔野に恋心を持つ前からこう考えていたのか、それとも好きになってからこう考えるようになったかは不明ですが、早苗は脇役の人生を選ぶことを選択します。

私はこういった考え・人生観に触れるのは初めてでした。

早苗の人生観はユニークかつ新鮮で、こういった考えもあるのか、と思わされました。

そしてその方法や過程はどうであれ蒔野と結婚し、夫の人生の脇役として蒔野を支えます。

洋子に言ったこのセリフが、早苗の気持ちをよく表現しています。

正しく生きることが、わたしの人生の目的じゃないんです。わたしの人生の目的は夫なんです。

引用元:映画「マチネの終わりに」

私はこの早苗の人生観に共感した人は少なくないと考えています。

ドラマや映画などの世界では、主役ではなく脇役を演じることで輝く俳優や女優がいます。

しかしドラマや映画の世界に限らず、実生活においても主役ではなく、脇役として輝く人はいるはずです。

「マチネの終わりに」の登場人物で言えば、蒔野や洋子は自分の人生の主役として輝ける人です。

彼らの人生に憧れる人は多いでしょう。

でも早苗のように脇役として主役を支える生き方して輝ける方もいるはずです。

そんな早苗の考え方に共感する方がいてもまったく不思議なことではないと思います。

マリアよりマルタでありたい

早苗が洋子に、聖書のマルタとマリアの姉妹の話をする場面があります。

洋子はここでの議論を不毛に感じつつも、信仰の問題だからとマリアの立場に理解を示します。

一方の早苗はイエスに話を聞くだけでもてなそうとしないマリアを批判し、マルタを支持します。

早苗は自分をマルタに例えることで、蒔野を支える自分の立場の正しさを洋子に訴えたかったのでしょう。

そして早苗の考えでは洋子はマリアです。

このシーン、心が大きく揺らいだ読者は多いでしょう。

イエスに献身するマルタ(早苗)か、それともイエスを信仰するマリア(洋子)か?

自分はどちらでありたいか?

本当はマリア側でいたい。

でもマルタのほうが現実的で身近に感じた方は意外と多いのではないでしょうか。

個人的にはここでの早苗の話の持っていき方はずるいと感じます。

私は洋子派だから、そう感じてしまうのかもしれませんが(笑。

しかし一時ギターを引けなくなった蒔野を陰から支え、いっしょにもがき苦しみ、復帰できるまでにした早苗を評価する人はいるはずです。

そんな方は早苗を支持し、共感するのかもしれません。

読者(視聴者)により近い存在が三谷早苗

このTwitterにあるように早苗は「マチネの終わりに」の主要登場人物の中で一番等身大

読者(視聴者)にもっとも近いのが三谷早苗なんだと思います。

特に三谷と洋子を比較した時、早苗の存在の身近さがわかります。

洋子は石田ゆり子さんが役に抜擢されるほどの美人で、何ヶ国語もできる優秀なジャーナリストで、父親は蒔野が尊敬する映画監督。

話す言葉や思考も知的で優れており、主役として自分の人生を生きられる女性です。

男性だったらだれもが心惹かれる女性ですし、女性の立場からするとだれもが憧れる存在だと思います。

それでも早苗に共感したり支持したりする層が2割程度いるのは、早苗が読者に近い存在であることが理由だと感じます。

人が持つマイナスの感情や罪悪感、人としての弱さが随所に見られるところから、彼女の人間臭さが好きという方がいます。

また蒔野の師匠・祖父江を献身的に介護したり、蒔野を陰で支える姿に共感したり身近に感じたりする方もいるようです。

蒔野にメールの件で本当のことを打ち明けたことを評価する方もいるようです。

そのやり方は許せないけど、早苗には「幸せになって欲しい」という声がnoteに寄せられていたそうです。

これらはすべて早苗が読者(視聴者)に近い存在であったことが理由だと考えられます。

女性だったら多くの方が洋子になりたいと思うでしょう。

でも洋子みたいな女性、現実には滅多にいません(笑。

小説の中にこれだけステキな女性を描ける作家も少ないです。

だから多くの人にとって洋子は憧れなんです。

それに対して早苗は等身大で、読者(視聴者)に近い存在なんだと思います。

だからこそあれだけ蒔野と洋子にひどいことをした早苗に共感する方がいるのではないでしょうか。

 

まとめ

三谷早苗に共感する理由について考察しました!

洋子派の私としては早苗についてまとめるのはむずかしかったです。

ただ早苗に共感する方の意見を調べてみてそんなとらえ方もあるのか、と感じることができました。

少し時間が経ったら原作を読み返し、映画も見直してみたいです。

もしかしたらそこで早苗に対して違った見方ができるかもしれませんので。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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