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三度目の殺人の生命は理不尽に選別されているの意味は?誰の言葉なのかについても

2019/10/30
 
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是枝裕和監督の映画「三度目の殺人」を観ました。

それにしてもむずかしくて理解に苦しむ映画ですね(笑。

鑑賞後のモヤモヤ感がいつになっても消えず、すぐまた観たくなりました。

この映画を観て気になったことはいくつもあります。

犯人は誰?とか、咲江は嘘をついている?とか、器ってどういう意味?などです。

この記事では「三度目の殺人」に出てくる「生命(いのち)が理不尽に選別されている」という言葉に注目します。

映画の中で誰が言った言葉で、どんな意味があるのでしょうか?

 

「三度目の殺人」で「生命は理不尽に選別されている」とは誰が言った言葉?

「生命(いのち)は理不尽に選別されている」は2人の登場人物が言った言葉です。

この言葉を言ったのは重盛朋章(福山雅治)と三隅高司(役所広司)です。

弁護人と被告人の2人が奇しくも同じ言葉を使っています。

では2人がそれぞれがどんな場面で使っていたのかを振り返ります。

重盛が使った「生命は理不尽に選別されている」

重盛は後輩弁護士の川島との会話でこの言葉を使います。

重盛「”生まれて来なければよかって人間なんていない”って言ったけど、ほんとにそう思ってんの?」

川島「はい。そう思いません?」

重盛「俺は思わない。人間の意志とは関係なく、生命(いのち)は選別されているんじゃないか」

川島「どういうことですか?」

重盛「本人の意志とは関係のないところで、人は生まれてきたり、理不尽に生命(いのち)を奪われたりしてるってこと」

重盛の事務所で2人はこんなやり取りをしました。

川島のわかったようなわからないような表情が印象的でしたが、映画を観ている人も川島と同じく重盛の発言の意味を考えたのではないでしょうか?

重盛はこれまでの弁護士活動を通し、自然とこんな考えを持つようになってのでは、と思っています。

理由は後に説明します。

三隅が使った「生命は理不尽に選別されている」

三隅は重盛が弁護方針の説明のために接見した際に「生命は理不尽に選別されている」を使っています。

三隅「カナリアが一羽逃げたという話をしたでしょ。あれわざと逃したんですよ」

「僕がしたみたいに、人の命をもてあそんでる人がどっかにいるんでしょうか?」

「いるなら会ってみたい。言ってやりたい。理不尽だって」

「彼らの関係のないところで、生命は選別されてるんですよ。理不尽に!」

重盛「その話・・・。なんであなた、裁判長にハガキなんか出したの?」

三隅「憧れていたんですよ。人の命を自由にできるじゃないですか」

 

なぜ2人は同じ言葉を使ったのかを考察

ではなぜこの裁判まで接点がなかった重盛と三隅が「生命は理不尽に選別されている」という言葉を使ったのでしょうか?

私はこの映画を観て感じた疑問の一つがこれでした。

もし同じ考えを持っていたとしても、まったく同じ表現を使うことは考えにくいからです。

ここからは私の推測です。

重盛と三隅は「生命は理不尽に選別されている」という表現を、重盛の父・重盛彰久から聞いたのではないでしょうか?

重盛彰久は30年前に三隅が起こした殺人事件を担当した元裁判長です。

その裁判の中で、当時の重盛裁判長がこの表現を使い、それを覚えていた三隅が重盛に言った可能性が考えれます。

三隅は30年前、北海道の留萌で高利貸の取り立てをしていたヤクザを殺害しましたが、裁判長は三隅の裁判で「生命は理不尽に選別されている」という言葉を使ったと考えられます。

一方の重盛は、父の彰久からこの言葉や考えについて若い頃から聞いていたと推測します。

また裁判官と弁護士、立場は違えど同じ法曹界にいる親子ですから、似た考えを持つようになり、重盛は後輩弁護士の川島にこの言葉を言ったと考えられます。

重盛は三隅が「生命は理不尽に選別されている」と言ったとき、驚いた表情を浮かべ言葉に詰まります。

そして少し考えて「なんで裁判長にハガキなんか出したの?」と尋ねます。

重盛はこの言葉を聞いてすぐに父のことを思い出して、三隅が元裁判長にハガキを送った理由を聞いたのではないでしょうか。

あくまで私の推測です。あなたはどう考えるでしょうか?

「三度目の殺人」で「生命は理不尽に選別されている」意味とは?

ここから「生命は理不尽に選別されている」の意味について考察します。

私はこの言葉は現在の日本の裁判制度やあり方から重盛や三隅が感じたことではないかと思っています。

重盛が考える「生命は理不尽に選別されている」

重盛はやり手の弁護士です。

弁護人としてこれまで事件の真実はどうであれ、依頼人の利益になることを最優先にしてきました。

依頼人の利益になるとは刑を少しでも軽くすることです。

三隅は前科があった上で今回の殺人事件を起こしました。

自供もしているので死刑判決を受けるのは目に見えています。

それでも重盛は弁護人に有利な証拠を見つけ、法定戦略を練り、なんとか無期に持ち込めないか画策します。

そして真実にはあえて目を向けようとはしません。

それは重盛と後輩弁護士の川島の会話からわかります。

川島「どっちなんだろうな、怨恨と保険金と」

重盛「そんなのは依頼人の利益になる方に決まっている」

川島「法廷戦術的にはそうなんでしょうけど」

重盛「それ以外に何があるの?どっちが本当なんでどうせわかんないんだから。だったらより役に立つ方を選ぶ」

重盛はこれまでの仕事の中で「裁判は必ずしも真実を明らかにするものではない」ということを強く感じていたのでしょう。

裁判所、検察、弁護人がそれぞれの利益を調整し、期日までにある程度のところで判決に落とし込む。

裁判は利害調整の場で、必ずしも真実を明らかにするものではないことをわかっているのです。

だから依頼人の利益になるように法廷戦術を考え、これまでの裁判で勝ってきました。

ときには真実に反して重い判決が出たこともあったでしょうし、逆に軽い判決が出たこともあったでしょう。

被告人にとってそれはまさに自分の意志とは関係なく「生命は理不尽に選別されている」ということになります。

これまでの仕事を通して重盛は「生命は理不尽に選別されている」という考えを持つにいたったと考えられます。

三隅が考える「生命は理不尽に選別されている」

三隅は30年前北海道で殺人を犯し裁判を受けますが、裁判を担当した重盛裁判長の判断により死刑判決を受けずに済みます。

裁判官は本人の不幸な生い立ち、貧しさを理由に情状酌量し、死刑にしてもおかしくない三隅に温情判決を出します。

三隅にとっては幸運でした。

しかし三隅は本当だったら死刑になるはずの自分に無期刑が出たことに違和感を持ったのではないでしょうか。

このとき三隅を担当した弁護士は、三隅の殺人の動機がよくわかっていませんでした。

でも北海道の刑事の話によると、怨恨のほうが死刑を回避できるという理由から怨恨が動機という方針で弁護をします。

結果として死刑を回避することができました。

三隅はこのとき自分の意志とは異なる動機をもとに進む裁判と判決結果をみて、自分の命がもてあそばれていると感じたと思われます。

三隅が重盛に言った

「僕がしたみたいに、人の命をもてあそんでる人がどっかにいるんでしょうか?」

「いるなら会ってみたい。言ってやりたい。理不尽だって」

「彼らの関係のないところで、生命は選別されてるんですよ。理不尽に!」

という言葉は、かつて自分が経験した裁判から感じた言葉であると考えられます。

重盛が弁護人の立場で「生命は理不尽に選別されている」と感じたように、三隅は裁判を受ける被告人の立場で同じことを感じたのではないでしょうか。

自分に有利な判決が出たのに理不尽というあたりが三隅らしさなのかもしれません。

いずれにしても三隅は、真実を明らかにすることなく裁判が進み判決が出たことに「生命は理不尽に選別されている」と感じた、と私は考えています。

まとめ

  • 重盛も三隅も重盛元裁判長を通して「生命は理不尽に選別されている」という言葉を知った
  • 2人とも自分の経験を通して「生命は理不尽に選別されている」と感じるようになった

「生命は理不尽に選別されている」について考察しているブログや記事はほとんどありませんでした。

しかしこの映画を考える上で重要と感じたのでこの記事で取り上げました。

「三度目の殺人」を考える上で何かのお役に立てばうれしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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