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三度目の殺人は胸糞悪い名作?意味不明で分からない映画の理由とは

三度目の殺人

是枝裕和監督作品の「三度目の殺人」。

「これで終わりなの?だれが犯人なのかハッキリしてくれよ!」と言いたくなる結末で、鑑賞後にモヤモヤが残った映画でした。

犯人が誰なのかスッキリしないし、最後の「器」の意味もわかりにくいですし。

あまりにわかりにくい映画のため「胸糞悪い」と感じる方もいるようです。

なぜ「三度目の殺人」を観て「胸糞悪い」と感じる人がいるのでしょうか?

ここでは「三度目の殺人」が「胸糞悪い」と言われる理由を考えていきます。

 

映画「三度目の殺人」が胸糞悪いという口コミ

まず最初に「三度目の殺人」を観て「胸糞悪い」と感じた方の口コミをご紹介します。

このような口コミがありました。

ただし「胸糞悪い」と言っても悪い意味ばかり使われているのではありません。

最後のお二人は「胸糞悪いけど好き」とコメントしているので、いい意味でこの表現を使っている方もいます。

ではなぜ「三度目の殺人」には「胸糞悪い」という口コミがあるのか、考えていきます。

 

「三度目の殺人」が胸糞悪い理由は?意味不明で分からないから?

個人的に「三度目の殺人」が「胸糞悪い」と感じる理由は3つあると考えます。

犯人が誰か分からないから

まず犯人がわからないから、という理由が挙げられます。

この映画は殺人と死体損壊で捕まった三隅(役所広司)に弁護士が接見し、死刑判決が出るまでを描いています。

私は最初に映画を観たときたぶん三隅が殺したのだろう、と思いました。

でもその確信が持てませんでした。

もしかしたら咲江(広瀬すず)が関わっているのではないか?

美津江(斉藤由貴)も怪しい、と感じました。

結局は犯人が誰なのか、わからないまま映画が終わってしまうのです。

「三度目の殺人」を見た多くの方が私と同じように「犯人は誰だったの?」という疑問を残したままエンディングを迎えたはず。

「犯人が誰か分からない」ことが「三度目の殺人」を胸糞悪いと感じるもっとも大きな理由だと考えます。

犯人以外にも意味不明で分からないことが多いから

犯人以外にも「三度目の殺人」には分からないことがいくつもあります。

例えば重盛(福山雅治)が最後に言った「」の意味です。

また咲江の足の不自由なのは生まれつきなのか、それとも屋根から飛び降りたからなのかについても分かりません。

咲江が嘘を言っているのかどうかは犯人探しにも関わるので大切なポイントなのです。

他にも

  • 山中の妻は殺人に関わっているのか?
  • なぜ三隅はあんなにコロコロと供述を変えるのか?
  • 劇中に何度も出てくる十字架にはどんな意味があるのか?
  • 「生命が理不尽に選別されてい」とはどういう意味なのか?
  • 中心人物3人がそれぞれ頬を拭く仕草にはどんな意味があるのか?
  • 映画のタイトルの意味とは?

など、映画を観ても分からないことがいくつもあります。

だから映画鑑賞後にモヤモヤが残ってしまうのです。

犯人以外にも分からないことが多いことも「胸糞悪い」と感じる大きな理由だと思います。

盛り上がる場面がなく淡々と話が進むから

3つ目の理由は盛り上がる場面がなく淡々と話が進むこと。

「三度目の殺人」には盛り上がる場面はありません。

裁判を取り扱った映画の多くは、裁判が進む過程で新証拠あるいは新証人が出てきて、流れが一気に変わるシーンがあるものです。

いわゆる大どんでん返しがあり話が盛り上がるのですが、この映画にはそういったものはありません。

途中で三隅が「自分は現場に行っていないし、殺人もしていない」と、証言をくつがえす場面があります。

しかし裁判の流れは大きく変わることなく、それまでと同じように進んでいきます。

だから最初から最後まで盛り上がる場面がないのです。

また「三度目の殺人」は淡々と、そして暗い雰囲気で物語が進んでいきます。

殺人事件を扱ってるので明るい雰囲気にはならないのかもしれませんが、とにかく重苦しいのです。

重盛が三隅に接見するシーン、弁護士たちが調査するシーン、法廷でのシーンが暗い雰囲気のまま、淡々と流れてきます。

なんとも言えない重苦しい空気の中で2時間も過ごしてしまうと、鑑賞後に「胸糞悪い」と感じる方がいても不思議ではありません。

盛り上がる場面がなく、かつ重苦しい雰囲気の映画のため、見終わった後に胸糞悪いと感じてしまうのではと思いました。

なぜ意味不明で分からない映画を作ったのか?

ではなぜ是枝監督は意味不明で分からない映画を作ったのでしょうか?

これには理由があるようです。

法廷は真実を追求する場所ではない

是枝監督はインタビューで以下のような話をしています。

弁護士を主人公にしてみようと思ったのは、「法廷は真実を追求する場所ではないんです」という一言を知り合いの弁護士から聞いたことがきっかけです。

「真実を追求する場所だと、少なくとも僕らは考えていない。真実を分かると思うほうが恐い。僕らがやるのは利害調整だ」と言う。

引用元:https://realsound.jp/movie/2017/09/post-108661.html

是枝監督は知り合いの弁護士から「法廷は真実を追求する場ではなく、利害調整の場」だという話を聞きます。

多くの弁護士はこのような考えに基づき仕事をしているようです。

映画に登場する重盛も真実には目をつぶり依頼人の利益になることを優先して裁判を戦います。

「どっちが本当なんてどうせわかんないんだから、だったらより役に立つ方を選ぶ」という重盛のセリフからも、真実に目を向けていないことがわかります。

また映画の後半で三隅が犯行を否認した後、裁判所、検察、弁護人が協議する場面がありますが、新たに裁判をやり直すことなく引き続き公判を続けることになるます。

裁判所は三隅が犯行を否認しても、裁判結果は変わらないという態度を示したから裁判を継続することにしたのです。

裁判所も真実を追求しようとはしていないことがわかります。

一般に私達は裁判は真実を追求し明らかにするものだと考えていますが、現実には違うのです。

真実の追求ではなく、裁判所、検察、弁護人たちの利害調整により判決が出る現実の裁判の姿を描いたため、「三度目の殺人」はわかりにくい映画になっていると考えられます。

犯人が誰なのかを決めず撮影を開始したから

「三度目の殺人」が意味不明で分からない映画になったもう一つの理由がこれです。

社長を殺した犯人が三隅なのかどうかをハッキリ決めず監督が撮影を開始したから。

監督によると、おそらく三隅が犯人なんだろうけど、もしかしたら咲江がやったのかもしれないという可能性を残して撮影に入ったのだそうです。

なぜそんなことをしたかというと、誰が犯人かわからないほうが面白いと感じたからということです。

製作者側が意図的に犯人をわからなくしているのですから、見ているこちらもわからず意味不明になるのは当たり前です。

そして映画を見終わった人たちが今でも犯人探しをしているのですから、まんまと是枝監督の戦略にひっかかったわけです。

映画を見終わって意味不明、分からないと感じるのは、監督の意図だったようです。

 

まとめ:「三度目の殺人」は胸糞悪い名作

「三度目の殺人」が胸糞悪いのは

  • 犯人が誰か分からないから
  • 犯人以外にも意味不明で分からないことが多いから
  • 盛り上がる場面がなく淡々と話が進むから

なぜ意味不明で分からない映画を作ったかについては

  • 法廷は真実を追求する場所ではないという法律のプロの考えの基づいて作られたから
  • 犯人が誰なのかを決めず撮影を開始したため

「三度目の殺人」が胸糞悪い、という感想に私は共感することができます。

ただし悪い意味ではありません。いい意味で「胸糞悪い」です。

この映画を見ることで裁判の現実について、人が人を裁くことについてなど多くのことを考えることができたのですから。

「三度目の殺人」は胸糞悪い名作といっても間違いではないでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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