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もののけ姫のサンの正体はエボシの娘?捨てられた理由や生い立ちについても

もののけ姫

1997年に公開されたアニメ映画「もののけ姫」。

宮崎駿監督の最高傑作とのうわさもある、和風ファンタジーの大作です、

「もののけ姫」と言われて、まず思い浮かぶのはやはりサンの姿でしょう。

ポスターにもなっていましたしね。

なによりも「もののけ姫」の物語で、ヒロインであるサンは縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆け回り、素晴らしい活躍を見せてくれました。

今回の記事ではサンの生い立ちや捨てられてしまった理由、エボシ御前の娘なのではないかという説について解説します。

是非最後までお付き合いください!

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「もののけ姫」サンの生い立ちと捨てられた理由

3番目の姫という意味でサンと名付けられる

サンの名前の由来は、宮崎駿監督が作成した絵本「もののけ姫」に。

この絵本は映画とは全く違う物語ですが、主人公が三の姫という人物なのです。

字面からもわかるように、「三番目のお姫様」です。

この人物の名前を、映画「もののけ姫」のヒロインの境遇にあわせてアレンジした結果が「サン」という名前なわけですね。

生贄として捨てられる

サンは赤子のころに森に捨てられています。

作中でモロの君が語っていましたね。

サンを捨てた人物は、生贄のつもりだったようです。

しかし、見つけたモロの君はサンを育てることに。

親に捨てられた赤子を哀れに思ったのでしょうね。

モロの君は、作中の登場人物の中で最も母性を感じさせてくれるキャラクター。

人ではないですが、モロとサンの姿は種族を超えた親子の愛情を見せてくれましたね。

モロの君に人間として育てられる

モロの君は巨大な山犬の姿をした神です。

作中では、みんな「モロ」と呼んでいましたね。

モロの君は、森で拾ったサンを人間として育てました。

自分たちとサンの姿かたちか違う理由をごまかさず、サンは人間なのだと伝えて育てたのです。

作中での言動から推測して、モロの君は、サンをいずれ人間の世界に返すつもりだったのでしょうね。

自分たちと共に生きるよりも、人間の世界に帰った方が、サンが幸せになれると考えたのでしょう。

とても愛情深く、サンのことを考えている素晴らしい母親です。

ちなみにオオカミに育てられた少女の話は実際に存在します。

現実でもイヌ科のオオカミは愛情深い生き物なんですね。

人間に対して強い恨みを抱くように

森で拾ったサンを人間として育てるモロでしたが、サンは人間を激しく憎むようになってしまいます。

自分が人間に捨てられたという事実。

人間が森を切り開こうとし、愛する母親・モロと敵対している現実。

それらは、サンが人間を憎むには十分すぎる理由でした。

 

しかもサンの憎しみは、「人間である自分自身」にも及んでいるように見えます。

モロにしてみれば、誤算だったでしょうね。

こうしてサンは、人でありながら人を憎み、かといって山犬にもなれぬ、哀しい存在となりました。

モロの君も現状を憂いているようでしたが、有効な手も打てず、サンはアシタカと出会うまで自らを

受け入れることはできなかったのです。

 

サンはエボシの娘なのか考察

サンがエボシの娘という声は多い

もののけ姫の視聴者の間で根強くうわさされているのが、「サンはエボシの娘」という推測。

つまりサンを捨てたのがエボシなんじゃないかと考えたわけですね。

もちろん、そこには何らかの理由があったのでしょうが。

しかし、この推測は正しいのでしょうか?

次は「サン=エボシの娘説」を考察していきます。

サンがエボシの娘と考えられる2つの理由

サン=エボシの娘説には、二つの根拠があります。

まずはその根拠を説明しましょう。

整った顔立ちや好戦的な性格が似ている

「サン=エボシの娘説」の根拠の一つが、「サンとエボシは顔と性格が似ている」ということ。

確かに二人とも整った顔立ちをしていて、すらっとした印象が似ていますね。

性格についても、二人ともきわめて攻撃的で、とても良く似ています。

ですが親子だという根拠には少し薄いのではないでしょうか。

推測ですが、サンの見た目や性格がエボシと似ているのは、宮崎監督が用意した「皮肉」なのではないでしょうか。

「サンがどれだけ人間を憎み、人間を嫌っていても、サンの姿は人間そのものじゃないか」。

宮崎駿監督はこう言いたかったのでしょうね。

エボシはタタラ場を襲撃したサンを殺すつもりがなかった

二つ目の根拠が、「エボシにはサンを殺すつもりがなかった」ということ。

確かにサンは何度もタタラ場を襲撃しているのに、エボシはサンを殺さずに捕獲しようとしていました。

モロや他の山犬には容赦なく殺しにかかっているのに、です。

ですがこれも根拠としては薄い気がします。

推測ですが、エボシはサンを「人間」として捉えていたから、殺したくなかったのではないでしょうか。

エボシとモロの戦いは、人と人ならざる者の戦い。

人なのに人であれないサンという存在は、エボシからすると、この戦いに介入する資格がないように見えるのかもしれません。

海賊の頭の妻だったエボシに子どもがいても不思議ではないが・・・

エボシは、タタラ場を開く以前は、倭寇と呼ばれる海賊の、頭目の妻だったという過去があります。

そのころに、石火矢の技術を手に入れたんですね。

結婚経験があるのですから、エボシに子供がいても不思議ではありません。

しかし海賊だったエボシが、なぜ森にサンを捨てるのでしょう?

しかも生贄として。

普通に考えれば、海に住む神への生贄として海に捨てるのではないでしょうか。

 

まとめ

今回の記事では、サンの生い立ちや捨てられてしまった理由、エボシ御前の娘なのではないかという説について解説しました。

  • サンは生贄として森に捨てられ、モロによって人間として育てられた
  • モロはサンをいずれ人間の世界に返すつもりだったと考えられるが、サンは人間を憎むようになってしまう
  • その結果、サンは人にも神にもなれない哀しい存在となってしまった
  • サンがエボシの娘だという説があるが、根拠は薄い

もののけ姫の物語で、サンの姿は光り輝いていました。

人にも人でないものにもなれない哀しみのなかで、必死に生きる姿には、生命の輝きが宿っているのでしょうね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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