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海よりもまだ深くの映画タイトル意味と由来は?内容や伝えたいメッセージの考察と解説

映画

2016年公開の映画「海よりもまだ深く」。

キャッチコピー「夢見た未来とちがう今を生きる、元家族の物語」にあるように、自分の人生はこんなはずじゃなかったと思いながら生きる大人の物語です。

一言でこの映画を表現すると、何気ない日常の描写がとにかくうまい!

脚本、役者の演技を含めて、どこにでもある日常を絶妙に描いた作品だと感じました。

ここでは映画「海よりもまだ深く」のタイトルの由来、そしてタイトルに込められた意味。

さらに映画の内容、伝えたいメッセージについて考察し解説していきます。

 

「海よりもまだ深く」映画のタイトルの意味や由来は?

「海よりもまだ深く」タイトルの由来はあの昭和の名曲

映画のタイトル「海よりもまだ深く」は昭和の歌姫テレサ・テンの名曲「別れの予感」の歌詞の一部です。

すでに多くの方がご存知のことと思います。

この曲のサビである

海よりも まだ深く 空よりも まだ青く

あなたをこれ以上 愛するなんて わたしには出来ない

からタイトルを取っているんですね。

「これ以上愛するなんてわたしには出来ない」なんて男にはかなり重い愛ですが(笑)。

曲は全体的にとても明るく、いじらしいほどかわいい女性の心情を表現しており私は好きです。

「別れの予感」が流れる映画の場面はどこ?

映画の中でテレサ・テンの「別れの予感」が流れるのは、良多(阿部寛)と淑子(樹木希林)が台風が来た夜に人生についてあれこれ会話をするシーンでした。

会話の最中にラジオから「別れの予感」がさり気なく流れてきます。

良多の死んだ父(淑子の夫)の生き方の話から始まり、男の生き方や幸せな生き方について淑子が語る場面でした。

「なんで男は今を愛せないのかねえ」

「幸せってのはね、諦めないと手にできないものなのよ」

淑子のこのセリフのあとに「海よりもまだ深く 空よりもまだ青く」という歌詞がラジオから聞こえてきます。

そして「私は、海より深く人を好きになったことなんてこの歳までないけどさ」としみじみ続けるのです。

なりたい大人になれなかったのは良多だけ?

「海よりもまだ深く」は「なりたい大人になれなかった大人」を描いた映画です。

「なりたい大人になれなかった大人」とは良多です。

「そんなに簡単になりたい大人になれると思ったら大間違いだぞ」という良多のセリフからもそれはわかります。

また真悟からの「なりたいものになれた?」という問いに「まだなれてない。でもな、なれたかどうかが問題じゃないんだ。大切なのはそういう気持ちを持って生きているかどうかってことなんだ」というセリフからも良多がなりたい大人になれなかったことがわかります。

でも「なりたい大人になれなかった大人」はこの映画の中で良多だけなのでしょうか?

良多の母・淑子も自分のことを「なりたい大人になれなかった」と思っているのではないか、と私は感じました。

なりたい大人になれなかったがすべて諦めた淑子

淑子は主人をなくした後、時々訪れる娘や息子と何気ない会話を楽しんだり、団地の仲間とクラシックを楽しんだりと、平穏で満ち足りた生活を送っているように見えます。

でも死んだ夫はどうしようもない人間だったようで、生前かなりのお金を失ってしまいました。。

また息子もダメ男。いまだに親のスネカジリをしています。

本当だったら今頃は一戸建てで悠々自適の生活が出来ているはずなのに、いまだに古い団地暮らし。わずかな年金だけが頼りの生活です。

淑子はそんな境遇に対して「こんなはずじゃなかった」という気持ちを持ちながら生きているのではないか、と感じました。

ただ過去に囚われ前に進むことが出来ない息子の良多とは違い、淑子はそういった境遇をすでに諦めたから今は平穏に暮らせているのです。

「幸せってのはね、何かをこう諦めないと手にできないもんなのよ」という淑子のセリフからもその事がわかります。

すべて諦めた上で、淑子はささやかな幸せを感じ生きているように思えました。

「海よりもまだ深く」のタイトルに込められた意味は?

では「海よりもまだ深く」のタイトルにはどんな意味が込められているのでしょうか。

映画のタイトルについて是枝監督のコメントを載せた記事があったのでご紹介します。

是枝は「僕の家はよく歌謡曲が流れている家だったので、『ブルー・ライト・ヨコハマ』の一節から『歩いても 歩いても』と名付けたように、昭和歌謡のワンフレーズをタイトルにしたいと思っていました」と語る。そして「テレサ・テンの歌は、団地住まいの主婦たちが秘かに憧れるドラマティックな恋愛を歌ったものが多いですよね? そんなところも“みんながなりたかったものになれるわけじゃない”というコンセプトにつながっています」と同曲を選んだ理由を明かした。

引用元:https://natalie.mu/eiga/news/182924

先ほど説明したように、私は樹木希林が演じた淑子も”なりたいものになれなかった”一人だと考えています。

そしてテレサ・テンの歌は、団地住まいの主婦たちには現実にはできない情熱的な恋を表現したものが多い、と監督が語っています。

「別れの予感」も普通に団地暮らししている主婦たちにはとても出来ない、情熱的な恋を表現した歌です。

「なりたいものになれなかった」という淑子の気持ちを、団地暮らしの主婦には出来ない情熱的な恋愛を表現したテレサ・テンの「別れの予感」という歌に重ね合わせ、「海よりもまだ深く」というタイトルに込めたのではないか。

私は「海よりもまだ深く」というタイトルにはこんな意味が込められているのでは、と考えました。

「海よりもまだ深く」内容や伝えたいメッセージの考察と解説

次に映画「海よりもまだ深く」が伝えたいメッセージについて考察します。

「海よりもまだ深く」の内容を確認

まず一度映画の内容を確認します。

笑ってしまうほどのダメ人生を更新中の中年男、良多(阿部寛)15年前に文学賞を1度とったきりの自称作家で、今は探偵事務所に勤めているが、周囲にも自分にも 「小説のための取材」だと言い訳している。

元妻の響子(真木よう子)には愛想をつかされ、息子・真悟の養育費も満足に払えないくせに、彼女に新恋人ができたことにショックを受けている。

そんな良多の頼みの綱は、団地で気楽な独り暮らしを送る母の淑子(樹木希林)だ。ある日、たまたま淑子の家に集まった良多と響子と真悟は、台風のため翌朝まで帰れなくなる。

こうして、偶然取り戻した、一夜限りの家族の時間が始まるが・・・。

引用元:映画「海よりもまだ深く」公式サイト

「海よりもまだ深く」は特に大きな出来事や事件などなく、淡々と静かにストーリーが進んでいきます。

あえて言えば台風の夜、淑子の家で一夜限りの元家族の時間が再開するのが大きな出来事です。

それでも大きな盛り上がりはなく、静かにエンディングを迎えます。

まるでこの映画をどうとらえるかは視聴者に任せるように。

とはいえ映画が伝えたいメッセージはあるはずです。次で考察します。

「海よりもまだ深く」伝えたいメッセージとは?

結論を書くと「海よりもまだ深く」の伝えたいメッセージは「それでも生きる」だと考えています。

この映画のキャッチコピーは「夢見た未来とちがう今を生きる、元家族の物語」です。

夢見た未来とちがう今を生きる=なりたい大人になれたかった人ということです。

なりたくない大人になった人、という言い方もできるでしょう。

では映画の中で夢見た未来と違う今を生きているのはだれなのでしょうか?

主人公の良多のほか、淑子そして響子もこれに含まれていると感じました。

良多と淑子については前にその理由を説明したので、響子について説明します。

響子は結婚する前、良多と将来生まれてくるであろう子どもと幸せな家庭を築きたかったのでしょう。

淑子との会話で「子どもが生まれるとなにか変わると思ったんですけど」というセリフがあります。

おそらく良多は結婚前からダメ男で、それでも結婚し子どもが生まれれば何かが変わると期待して響子はいっしょになったのでしょう。

でもその期待は打ち砕かれ離婚、今は新しい彼と家庭を築こうとしている。「こんなはずじゃなかった」という気持ちはきっとあるはずです。

「それでも生きる」の意味

良多、淑子、響子の3人がなりたい大人になれなかった大人、と書きました。

でも自分に置き換えてみたときに、あなたはなりたい大人になれたでしょうか?

なれたという人もいると思いますが、大多数の人はなれなかったと答えるのではないでしょうか?

若い頃思い描いていた大人にはなれなかった、それでも生きていかなくてはいけない。

それが現実ではないでしょうか?

でも「なりたい大人になれなかった」「こんなはずじゃなかった」という人生でも、投げ出すわけには行きません。

自分のため、そして大切な誰かのために生きていかなくてはなりません。

だからこそこの映画の伝えたいことは「それでも生きる」だと考えます。

まとめ

「海よりもまだ深く」のタイトルに込められた意味、そして映画が伝えたいことについて考察、解説しました。

あなたはどうお感じになりますか?

良多と淑子が深夜に会話を交わす中、ラジオから「別れの予感」が流れるシーンを見て考えてみてはいかがでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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