「空の青さを知る人よ」が10月11日に公開されました。
評価がとても高く、大ヒットの予感がしますね。
「空青」は特にむずかしい映画ではありませんが、心にグサグサと刺さるセリフやシーンがいくつもありました。
おそらく映画を見た多くの方が感じていることだと思います。
そこで気になるのが「空青」の伝えたいことやテーマです。
ここでは「空の青さを知る人よ」が伝えたいことやテーマ・メッセージについて考察します。
目次
「空の青さを知る人よ」は世代により受け止め方が異なる?
「空青」は見る世代によってとらえ方がかなり変わる映画という印象を受けました。
18歳のしんのに近い世代と31歳の慎之介に近い世代では違う解釈をするでしょうし、違った感想を持つと思います。
この映画を見たあとで、いろいろな方がいろいろな評価や解釈をするでしょう。
31歳の慎之介、18歳のしんの、あかね、あおい、すべて愛おしいキャラクターです。
ただ見る方の年代や経験、性別により各キャラクターへの思い入れが違ってくるのでは、と思います。
となると伝えたいことやテーマを客観的に表現するのはむずかしいかもしれません。
私は31歳の慎之介より上の世代の男です。
そのため映画を観て慎之介やあかねに共感することが多かったです。
ここでは「空青」が伝えたいことやテーマを、主観を交えて私なりに解説していきます。
なお「空の青さを知る人よ」のタイトルの意味は以下の記事で考察しています。
「空の青さを知る人よ」が伝えたいことやテーマについて
個人的に「空青」には伝えたいこと・テーマが3つあると感じました。
- 姉妹愛
- 未来の自分と過去の自分との対話
- 「井の中の蛙」は悪いことばかりではない
以上3つです。
姉妹愛
本日封切『空の青さを知る人よ』は18歳からの13年間を妹に捧げた31歳のお姉ちゃん(太眉・眼鏡)がとにかく素晴らしかったので、18歳からの13年間を妹に捧げた太眉・眼鏡の31歳のお姉ちゃんに少しでも興味があったら観てください。ぶっちゃけ異性愛はオマケ(作劇上の口実)でこれは姉妹愛の物語です。 pic.twitter.com/glTTQV3zUQ
— 梅香@芸カ新刊委託中 (@SENBAKO1) October 11, 2019
まず挙げなければならないのが相生あかねとあおい姉妹の愛情でしょう。
姉のあかねが妹のあおいを思う気持ち、そして妹のあおいが姉のあかねを好きな気持ちがこれでもか!というくらいわかりやすく表現されていました。
姉妹愛については、映画を観た方すべてが共感できることだと思います。
あおいのあかねへの気持ち
あおいは自分の存在があかねを縛り付けているという気持ちを持っていました。
自分がいることであかねは秩父を離れられず、恋愛もできず、好きなこともできない、という気持ちです。
だから高校を卒業したら東京に行ってバイトしながら音楽をやる、という決意をします。
そんなときあおいはお堂で13年前の世界から来たしんのに出会い、次第に彼を好きになっていきます。
ここであおいは悩みます。
なぜならあかねの気持ちは今でも慎之介にあるから、あかねの幸せを思うとあかねと慎之介をくっつけたい。
でもそうなるとお堂にいるしんのは、慎之介の体に戻り消えてしまう。
あおいは大いに苦しみますが、最後にはあかねと慎之介をもう一度くっつけようとします。
なぜならあおいはあかねのことが大好きだから。
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映画『#空の青さを知る人よ』
いよいよ明日公開!
\売れないギタリスト、31歳の #金室慎之介 と、13年前の過去からやって来た18歳の #しんの
あかねの元恋人。
高校卒業後、ミュージシャンを夢見て上京していた。#吉沢亮 #空青 #10月11日公開 #空青観たい pic.twitter.com/TxJSw3MMwK— 映画『空の青さを知る人よ』 (@soraaoproject) October 9, 2019
たとえしんのが消えてしまっても、あかねの幸せを1番に考えてのことでした。
「あたしはしんのが好き。だけどあか姉も大好きなんだ!」
自分の初恋を犠牲にしてでも、あかねのことを思うあおいの気持ちがこのセリフによく現れていました。
あかねのあおいへの気持ち
あおいは、自分がいることであかねが好きなことも恋愛もできず、秩父を離れることができないと思っていました。
でもあかねはどう思っていたのでしょう?
あおいのために自分が犠牲になっていると思っていたのでしょうか?
私はそうは思いません。
あかねはあおいが大好きで、年が離れたあおいの面倒を見て育てることに喜びを感じていたのだと思います。
それがよく現れているのがあおいがたまたま見つけたノートです。
「あおい攻略ノート」と表紙に書かれたノートには、こんな料理を作ったら喜んで食べてくれたとか、最近はこういう服が好みとか、こうゆう髪型が喜ぶとか。
あかねがあおいのためにしたことが細かに書かれていました。
あおいはたまたま見つけたそのノートを見て涙を流しますが、あかねのあおいに対する愛情はそれだけ大きかったのです。
誰かのために生きるのって平時にそれを自分で選んでいたとしても大変なのにあかねは凄いよね✨
なんか一気にあかねファンになっちった💖!(笑)
あおいがメインのキャラだから仕方ないけど西武のコラボグッズにあかねがいたら良かったなー。あったっけ💦??綺麗でもおばさんはダメなのか!(笑)#空青 pic.twitter.com/DSaY8DKgkn— けんけんぱっぱ@筋トレギター弾き (@tanpakuken) October 13, 2019
またかけ崩れから助けられたあと、真っ先にあおいに抱きついたことからもあかねのあおいへの気持ちがわかります。
「あか姉がシスコンだったというオチ」と揶揄する方もいるかも知れませんが、そこに至る過程であかねのあおいを思う気持ちは十分に描かれていました。
個人的にはあかねにとっての「空の青さ」はあおいだったと思っています。
秩父という閉塞感がある場所でも、恋人だった慎之介がいなくなっても、あおいがいたことであかねはずっと幸せだったのでは、と私は感じました。
未来の自分と過去の自分との対話
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映画『#空の青さを知る人よ』
公開まであと3日!
\あかねの妹 #相生あおい
17歳の高校二年生。
音楽好きで、卒業後上京してミュージシャンになることを夢見ている。
幼い頃、しんのに憧れを抱いていた。#若山詩音 #空青 #10月11日公開 #空青観たい pic.twitter.com/ttAe5eG6qz— 映画『空の青さを知る人よ』 (@soraaoproject) October 7, 2019
2つ目は「未来の自分と過去の自分の対話」です。
映画の終盤に31歳の慎之介と18歳のしんのがお堂で対面します。
ここで大人になった未来の自分と、青年だった過去の自分が対話します。
大人になった未来の自分と、青年だった過去の自分の対話は、「空青」の大きなテーマだったと感じています。
このテーマについては見る年代によりとらえ方が大きく異なるはずです。
18歳のしんのに近い世代がこのシーンを見たらどう感じるでしょう?
31歳になった自分が夢半ばでくすぶっていて、やさぐれた表情で毎日を生きていたら?
うまくいかないことを運やコネがないことにして、半ば諦めている様子を見たら?
18歳のしんのが31歳の慎之介に言った
「だっせえ、だっせえ、だっせえ!将来お前みたいな奴になるなんて!」
「俺はお前なんだよなあ?だったら思わせてくれよ。お前になってもいいかもしんねえって思わせてくれよ!」
という言葉にきっと共感するでしょう。
そして「将来あんな大人にだけはなりたくない!」とか「立派な大人になりたい!」と思うでしょう。
では31歳の慎之介に近い世代、つまり大人がこの映画を見たらどう感じるか、考えてみます。
この世代の大人には、このシーンは若者が感じるよりずっと強烈に心に残ったはずです。
前にご紹介したしんののセリフは過去の自分からの強烈なメッセージとして、グサグサと胸に突き刺さったのではないでしょうか。
18歳のときに描いていた31歳になれたかどうか、なりたい大人になれたかどうか、人それぞれ違うでしょう。
描いていた未来とは違った人生を歩んでいる人のほうが多いかもしれません。
そんな自分が18歳の自分と胸を張って対面できるか?
自信を持って対面できない方もいるかもしれません。
それでも自分の人生を諦めるわけにはいきません。
だれも人生の舞台から逃げるわけにはいかないのです。
ならば18歳のしんののセリフを自分へのエールとしてとらえ、前に進めばいいのではないでしょうか。
「まだ全部途中なんだ。・・・だから諦めたくねえんだ、俺も。お前のことも諦めない」
と最後に慎之介が言ったように。
「今の時代、三十そこそこなんてまだ若造でしょ?私はまだまだ諦めてないよ、いろんなことを。これからだよ」
とあかねが言ったように。
「空青」は未来の自分と過去の自分の対話を通して、「大人になる」意味を幅広い世代に問いかけてい映画だと感じました。
「井の中の蛙」は悪いことばかりではない
3つ目の伝えたかったこと・テーマは「井の中の蛙」は悪いことばかりではない。
これについては私個人の主観がかなり入っています。
「空の青さを知る人よ」という映画のタイトルは、あかねが好きな言葉で、彼女が高校の卒業アルバムに残した
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」
の一部から作られています。
ここでの「井」は山に囲まれ閉塞感がある秩父のことで、あおいは映画の最初の方で秩父を「巨大な牢獄」と表現しています。
こう書くと秩父という田舎に住んでいる人は見識や視野が狭く、広い世界のことを知らない。
さらに言えば、そんな場所にいても大事を成すことはできない、というかなり否定的な意味にとらえてしまいがちです。
でもこの映画は「井の中の蛙」を否定していない、と感じました。
「井の中の蛙」は悪いことばかりではないということです。
私はあかねの姿を通してこのことを描いていると感じました。
あかねは高校生の時、慎之介と東京の専門学校に行くことを約束します。
でも両親が事故でなくなったため、秩父に残ることを決めます。
あかねは秩父という井戸にいる蛙と考えることができます。
しかし彼女は秩父という井戸の中から見上げたときの空の青さや美しさを知っていました。
あかねにとっての「空の青さ」、それはあおいです。
あかねはあおいに愛情を注ぐことで喜びを感じていました。
井の中の蛙かもしれませんが、そんな環境でも幸せを見つけ、自分を輝かせたりできる人だと思います。
私は劇中のあかねを見て、井の中の蛙を否定していない、井の中の蛙は悪いことばかりではないというメッセージを感じました。
井の中でくすぶっているとしても、それは場所や環境のせいではなく、すべて自分のせい。
井の中にいてもそこでしっかり生きていくことで、自分の人生を輝かせることができる。
そんなエールを送られている気がしてなりませんでした。
まとめ
「空の青さを知る人よ」の伝えたいこと・テーマは
- 姉妹愛
- 未来の自分と過去の自分の対話
- 井の中の蛙は悪いことばかりではない
主観がかなり強い文章になってしまいました(笑。
大人の私としてはどうしても31歳の慎之介やあかねに感情移入をしてしまいます。
とはいってもかつて18歳も経験していますから、あおいや18歳のしんのの気持ちもわかります。
「空青」は幅広い世代が共感できるメッセージやテーマを含んだ映画だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!