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借りぐらしのアリエッティは返してしてないから借りパク?借りてないと言われる理由についても

借りぐらしのアリエッティ

「借りぐらしのアリエッティ」というタイトルを聞いて、まず最初に感じたことは「借りぐらし」って何?でした。

意味がわからなかったのですが、映画を見ることでようやく「借りぐらし」の意味を理解することができました。

でもアリエッティたちの生活を見ていると、人間から「借り」ているばかりで「返す」シーンはありません。

これって「借りパク」?

ここではアリエッティたちの生活は借りてないから「借りパク」なのか、考察します。

またアリエッティたち小人にとって「借りぐらし」の意味についても考えていきます。

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「借りぐらしのアリエッティ」は返してないから借りパクで窃盗?

借りたものをパクることを「借りパク」と言います。

ここの「パクる」は「かっぱらう」を意味します。

アリエッティ達は「借りパク」なのでしょうか?

アリエッティたち小人は返してない?

映画の冒頭、アリエッティが父親ポッドと一緒に初めての「借り」に行きます。

アリエッティの初めての獲物は「まち針」。

2人は他にも角砂糖、ティシューなどの獲物を次々と確保していきます。

ポッドの様子を見るとかなり手慣れているようで、何度も「借り」に行っていることがわかります。

ただ「借り」と表現していますが、返す予定はないようです。

まち針はともかく、角砂糖やティシューは消耗品なので、小人が作って返すことはできないですからね。

これを「借りぐらし」と呼んでいいのか、疑問に思う人がいても不思議ではありません。

こうして「借りパク」とか「窃盗」疑惑が生まれたようです。

アリエッティたち小人は「借りパク」「窃盗」というネットの声

ここで「借りぐらしのアリエッティ」は「借りぐらし」ではなく「借りパク」「窃盗」というネットの声をご紹介します。

「借りパク」だという声は少なくありません。

「窃盗」「泥棒」などの言葉を使っている方もいました。

一方でアリエッティたちの行為を「借りパク」と認めつつも、作品自体を評価する声もありました。

 

「借りぐらしのアリエッティ」は借りてないと言われる理由

小人たちに返す意志はない

アリエッティたち小人は牧家からいろいろなものを借りていますが、返すことはあるのでしょうか?

ない!と断言できるでしょう(笑。

返却する意志もありませんし、お返しに別のものを人間たちにに贈るという気持ちもないようです。

「give and take」ではなく「take and take」!?

この様子を見て、視聴者は小人達は「借りてない」、つまり盗んでいると感じているようです。

「借り」は「狩り」に通じる

アリエッティたちの「借り」は「狩り」に通じていますね。

人間がかつて狩猟の生活をしていたように、また野生生物が生きるために狩りをするように、アリエッティたち小人も生きるために「狩り」をしていると考えられます。

「狩り」には危険が伴うもの。

小人たちはハルのような人間に捕まったら生け捕りにされてしまいますし、見つかったら住まいを変えなかればいけません。

そう考えるとアリエッティたちの「借りる」行為は、自然界においてごく普通のことなのかもしれません。

アリエッティたちにとっての「借りぐらし」の意味

「借りぐらし」についての製作者側の考え

映画「借りぐらしのアリエッティ」公式サイトにはこんな文章があります。

できれば全文を読んでいただきたいのですが、ここでは一部を抜粋してご紹介します。

この作品のテーマのひとつである「借りぐらし」という造語は、現代の気分にとてもあっていると、鈴木プロデューサーが気に入って映画のタイトルの中にも使いました。

人はいつからモノを所有するという感覚を身につけたのか。

私たちの世界には、様々な生物が共存共栄しています。動物も虫も、そして、植物も。本来、生物が生きていく上で境界線など存在しなかったはずです。自分のものと他者のものを分けることはできなかったはずです。

人間も動物も植物も所有できるものなどこの世にありはしない。全て自然の営みを借りて生活していました。自然に寄生して生きているのは人間も小人も同じだったはずなのです。

引用元:http://www.ghibli.jp/karigurashi/film_intro.html

小人たちの「借り」は人間の視点から見ると「窃盗」ですが、小人たちは「自然の恵み」として頂いているにすぎない、という製作者側の主張が感じられます。

「所有」という概念は人間だけが持つもので、自然界に存在する動物や植物は「所有」という意識を持っていない。

 

小人たちも「所有」という概念は持っておらず、他者との境界線はないので、彼らにとって人間の家にあるものはすべて自然の産物。

彼らは自然の産物である人間の食料やモノを借りて生活している、という考えが根底にあるようです。

「借りぐらし」は人間の「所有欲」に対するアンチテーゼ

「借りぐらしのアリエッティ」は人間の「所有欲」に対するアンチテーゼだと考えられます。

私を含めて「所有欲」を持っている人間は「借りぐらしのアリエッティ」を見て「借りパク」「窃盗」「泥棒」と感じるのでしょうが、製作者サイドはこういった考えを否定しているようです。

ただ程度の差こそあれ、人間なら「所有欲」を捨てることはできませんし、否定することもできません。

「借りぐらしのアリエッティ」の製作者側にも「所有欲」を捨てて「全て自然の営みを借りて生活」できる人間なんて一人もいないはず。

それでもこの映画を見ることで、自分たちと他者の関わりを考えるきっかけになればいいですよね。

そうすればもし小人が自分たちに家に住み着いた時、やさしい気持ちになれるでしょうから。

 

まとめ

ここでは「借りぐらしのアリエッティ」の「借りパク」について考察しました。

  • アリエッティたちは人間のものを借りても返さないので「借りパク」という声もある
  • アリエッティたちには借りたものを返す意志はない
  • 「所有」という考えは人間独特のもので、小人たちの身の回りにあるものは自然の産物なので、それを借りているだけという製作者の主張がある
  • 「借りぐらし」は人間の「所有欲」に対するアンチテーゼと考えられる

映画の根底にある主張については見る方により意見は分かれそうですね。

映画を見終わった後に公式サイトの見解を読んで、自分の考えをまとめてみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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