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逃げ上手の若君/楠木正成の死亡は何巻?実在した武将の最後を解説

逃げ上手の若君

「週刊少年ジャンプ」で絶賛連載中となっている「逃げ上手の若君」。

「ワンピース」や「ヒロアカ」、「呪術廻戦」と言った人気作品に次ぐ人気ぶりを見せている状態です。

そんな「逃げ上手の若君」に登場する楠木正成ですが、作中では何巻何話で死亡するのでしょうか?

今回は「逃げ上手の若君」楠木正成は何巻何話で死亡するのか?

実在した武将の最後を解説していきますね。

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「逃げ上手の若君」楠木正成は死亡は何巻?

楠木正成は死亡は13巻114話

結論を書くと、楠木正成の死亡は13巻114話。

湊川の戦いで自害して、最期を迎えます。

海と陸の両方から攻めてくる足利尊氏軍に対し、楠木正成は手勢を率いて陸から攻めてくる足利直義軍と激突したのです。

ただ海から迫る大軍勢と戦う新田義貞軍が策略に引っかかり、危機的状況になったので撤退します。

これによって海からやってきた軍勢がどんどん上陸していき、楠木正成軍は挟み撃ちの状態となり、孤立無援の状況と相成ったのです。

それでも楠木正成は弟の楠木正季ら手勢と共に奮戦し、足利直義を追い詰める活躍を披露。

更に向かってくる足利尊氏軍相手にも何度も突撃を行い、最終的に数は70人くらいとなります。

かなり疲労していた事からもこれ以上は戦えないと判断し、民家へと入って一族や家臣と共に自害。

意志を受け継ぐ子孫

自害して命を落とした楠木正成の遺志は息子達や子孫へと受け継がれていきます。

息子の楠木正行は楠木正成をほうふつとさせるような知略や戦略を使い、北朝を大いに苦戦させたのです。

その頃は足利直義や高師直達が対立していた時期だったので、戦況をより優位に進めていました。

しかし四條畷の戦いで、大兵力を率いてきた北朝に奮戦するも、最終的に敗北した事で戦死。

弟の楠木正儀も北朝と戦いながらも、ずっと続く戦いを止めるために和睦の道を探ったりするも、中々上手くいきませんでした。

やがて南北朝は統一される事になりましたが、孫の楠木正勝は反発して大内義弘が引き起こした応永の乱に参戦。

それ以降も楠木家の一族は室町幕府相手に何度も反乱を起こし、大いに悩ませていく事になるのです。

 

楠木正成が死亡するまでを解説

後醍醐天皇に尽力

楠木正成は河内を縄張りにしていた武士であり、当初は鎌倉幕府に仕えていて、反抗勢力を次々と倒していきました。

ただ倒した敵勢力の残党を取り込んでいた事から、次第に鎌倉幕府から驚異の存在として認知。

そんな中で後醍醐天皇の味方をすることになり、自分の事を完全に敵だと認知した鎌倉幕府と争い始めました。

後醍醐天皇が鎌倉幕府に捕まってしまうも、楠木正成は赤坂城や千早城にこもりながらゲリラ戦法で鎌倉幕府軍を圧倒。

僅かな勢力の楠木正成が奮闘している光景から、鎌倉幕府が弱くなっていると武士達は感じたんじゃないでしょうか。

弱り切った鎌倉幕府に見切りをつけるかのように、鎌倉幕府から離反する武士が多く出てくる事態に。

実際のところ、足利高氏が鎌倉幕府を裏切って、京都の六波羅探題へと攻め込んで完膚なきまでに滅ぼしました。

更に楠木正成との戦いの際、大量のお金を納品するように鎌倉幕府から言われていた事に激怒した新田義貞も離反。

瞬く間に鎌倉幕府は滅んだのです。

新政府で出世

鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇を中心とした建武の新政が行われることに。

鎌倉幕府を滅ぼした武士達に次々と恩賞を貰っていく中、当然ながら楠木正成も恩賞を授与されます。

その内容は記録所寄人、雑訴決断所奉行人、検非違使、河内・和泉の守護、河内守(国司)と多数。

これらの役職だけじゃなく、領土も幾つか貰えたのです。

結城親光、名和長年、千種忠顕と共にかなり出世した武士とされており、それだけ後醍醐天皇から信頼されていたという事でもあります。

実際、建武の新政の舞台である京都の近くに領地を持っていて、役職も多い事を踏まえると信頼されているのも当然と言えるでしょう。

役職を貰った後も、抵抗を続ける北条家の残党相手に討伐に向かうなど、後醍醐天皇に貢献するのでした。

足利尊氏軍と戦い始める

そんな中、後醍醐天皇の息子である護良親王が足利尊氏に捕まった事から、元々護良親王の与力だった楠木正成は役職を返上したのです。

さらに足利尊氏が反旗を翻し始め、討伐に向かった新田義貞軍を撃破して、この勢いのままに京都へと進軍。

後醍醐天皇は一時京都から離れる事になり、楠木正成は北畠顕家を始めとした味方を連携して足利尊氏を撃破し、九州へと追いやりました。

 

ただ楠木正成は足利尊氏の実力や人望を評価していて、朝廷に新田義貞の首と引き換えとした和睦を進言するも一蹴されたのです。

やがて足利尊氏が九州で味方を集めて、再び京都へと進軍。

新田義貞は軍勢を率いて動き出し、楠木正成も後醍醐天皇から出撃するように命じられました。

その際に楠木正成は一度京都から後醍醐天皇達を逃がし、足利尊氏を敢えて京都におびき寄せて叩くという作戦を進言。

しかし一度のみならず、二度も京都から逃げる事を潔しとしなかった後醍醐天皇達から却下されたのです。

楠木正成は軍を率いて出撃し、湊川の戦いで敗北して自害する事になりました。

 

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まとめ

今回は「逃げ上手の若君」に登場する楠木正成は死亡するのか、実在した武将の最後を解説をしました。

  • 「逃げ上手の若君」楠木正成は湊川の戦いで足利尊氏軍に負けてしまい、一族や家臣と共に死亡する
  • 楠木正成は後醍醐天皇に仕えて鎌倉幕府滅亡に貢献し、後醍醐天皇の配下として死亡するまで忠誠を誓う

最後までご覧いただきありがとうございました!

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