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逃げ上手の若君/北条時行は最後に死亡する?生存説についても考察

逃げ上手の若君

「週刊少年ジャンプ」で「ワンピース」等に次ぐ人気作品の「逃げ上手の若君」。

読者アンケートでは常に上位、低くても真ん中付近にあるので、人気があると言えるんじゃないでしょうか。

そんな「逃げ上手の若君」ですが、主人公の北条時行が作中で最後には死亡するのか、気になると思います。

仮にも主人公なので死亡するとはあり得ないと思いますが、史実通りだったら可能性としてはあり得るでしょう。

生存説もあると噂されています。

今回は「逃げ上手の若君」の北条時行がストーリーの中で最後に死亡するのか?

生存説についても考察していきますね。

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「逃げ上手の若君」北条時行は最後に死亡する?

足利方に捕らえられて処刑される

北条時行は最後に足利軍に捕縛されて、処刑と相成ったのです。

小手指原の戦いでの戦いで敗北した後、北条時行は逃走して潜伏。

何とか逃げおおせて、4度目の再起を図ろうとしたのでしょう。

しかし1353年6月21日に遂に足利軍に捕らえられ、鎌倉龍ノ口で処刑。

他にも長崎駿河四郎、工藤二郎等の武将達も処刑となったのです。

処刑の前年には3度目の鎌倉奪還を果たしていた

北条時行は首をはねられる前年である1352年、3回目となる鎌倉を奪還に成功。

1352年に南朝は京都と鎌倉の両方を奪還しようとしていて、軍勢を動かしました。

京都の方は早々に奪還し、鎌倉の方も北条時行の活躍等もあって、奪還する事に成功したのです。

時行が死亡して完結するのでは?

現在連載中の「逃げ上手の若君」ですが、主人公は北条時行です。

主人公が死んでしまったら、物語は終わりといってもいいでしょう。

一部の作品では主人公が死んでも話が続いたりしますが、それはほんの一部です。

条時行が死亡する事で、「逃げ上手の若君」と言う作品は完結となるでしょう。

 

「逃げ若」北条時行が死亡するまでの経緯を解説

1度目の鎌倉奪還

北条時行は鎌倉幕府が滅んだ後、信濃国の諏訪頼重ら諏訪氏に保護されました。

そして建武の新政に不満を持つ武将達が各地で出始めた頃、北条時行は諏訪頼重等の親北条の武将達と共に挙兵。

まず信濃国の小笠原貞宗を撃破し、上野国へと動いてきました。

その動きを知った足利直義は、関東庇番を始めとした若くて有能な武将達を差し向けます。

しかし北条時行軍の勢いは凄まじく、渋川義季、岩松経家、石塔範家、今川範満等の武将達が討ち取られたのです。

さらに関東の武将達も加わり、足利直義軍を破って鎌倉入りしました。

しかし足利尊氏が軍を率いて鎌倉に向かい、北条時行軍は立ち向かって何とか奮闘するも、負けて追い詰められます。

ここで諏訪頼重達主要人物は自害して、北条時行は一部の武将達と共に落ち延びたのです。

2度目の鎌倉奪還

北条時行は足利尊氏達北朝、後醍醐天皇達南朝が争い始めた頃に再び姿を見せます。

打倒足利尊氏を掲げていたので南朝に味方する事に決め、かつて後醍醐天皇のせいで鎌倉幕府が滅んだ事については水に流したのです。

改めて南朝側についた北条時行は軍勢を率いて、北畠顕家と新田義興軍に加勢し、斯波家長軍を杉本城で破って2度目となる鎌倉奪還をします。

その後も北畠顕家軍等と共に京へと進軍し、各地で幕府軍を打ち破っていきました。

しかし長旅の疲弊等もあったため、石津の戦いで北畠顕家が討ち死にした事で、北条時行達はまた逃走します。

「逃げ上手の若君」の最新話も石津の戦いなので、そろそろ2度目の逃亡を開始すると思いますね。

3度目の鎌倉奪還

やがて足利尊氏や高師直一派、足利直義一派が争うようになり始め、足利尊氏は南朝側について一旦南北朝は統一。

しかし足利直義が命を落としたのを皮切りに、南朝は京都と鎌倉の双方を奪還しようと動き出します。

京は何とか奪還する事に成功し、北条時行は三度挙兵し、新田義興軍と合流して鎌倉奪還のために動き出したのです。

新田義興軍は苦戦を強いられますが、その間に北条時行軍が足利基氏軍を打ち破って、三度鎌倉を取り戻しました。

その後は更なる味方を募るために三浦氏の力を借り、そのおかげで石塔義基率いる軍勢を撃破する事に成功。

やがて足利尊氏が軍勢を率いて襲来し、小手指原の戦いで敗北してしまい、京もまた奪還されてしまったのです。

北条時行は3度目の逃亡を図りますが、見つかってしまって処刑されます。

「逃げ若」北条時行の生存説とは?

北条時行の生存説について考察します。

結論から申し上げますと、生存説は可能性としてはありうるのではと思いますね。

3度目の鎌倉奪還をしたけどまた負けてしまい、最終的に捕縛されて首をはねられた北条時行。

しかし捕まったのではなく、4度目となる逃走に成功した可能性が存在しているのです。

その理由は後の戦国時代に伊勢長盛が北条早雲と名乗って、北条氏を名乗ったからとなっています。

これは北条時行が鎌倉から伊勢国へと逃げて行って、伊勢氏を名乗って隠れ住んだと言う言い伝えが存在。

そして伊勢氏の血が続いていき、最終的に伊勢長盛が誕生する事になるのです。

もしくは石津の戦いで逃げた後に、伊勢国に住んだ可能性も大。

ただこれはあくまで諸説なので、確定ではありませんが、可能性としては十分にあり得るでしょう。

 

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まとめ

今回は「逃げ上手の若君」の北条時行が最後には死亡するのか、生存説についても考察しました。

  • 「逃げ上手の若君」北条時行は足利軍に捕まってしまい、最終的に処刑されて死亡
  • 北条時行は信濃国に逃れて、3度に渡る鎌倉奪還を行って成功するも、短期間に終わってしまった
  • 北条時行は3度目の鎌倉奪還をして負けた後、伊勢国へと逃れて伊勢氏の祖となり、後に北条早雲を名乗る伊勢長盛が生まれたとされている

最後までご覧いただきありがとうございました!

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