2005年公開のイギリス映画「マッチポイント」。ウディ・アレンの監督、脚本によるラブ・サスペンス。ロンドンが舞台です。ストーリーの構成、音楽、キャストどれをとっても秀逸。ストーリーの中心の2人の女性、スカーレット・ヨハンソンとエミリー・モーティマーもたまらなくよかったです。
この映画の終盤で、主人公のクリスが殺した老女から奪った金品を川に投げ込むシーンがあります。最後に指輪を投げましたが、橋の欄干の上に当たりこちら側に落ちてしまうシーンがありました。あの場面の伏線は映画のどこにあったのか、振り返ってみます。
またあの場面はまさに映画の主題とも関わっていますが、それについても考察します。
目次
クリスが投げた指輪が橋の手前に落ちた意味
クリスが投げた指輪が橋の手前に落ちた意味・・・それは本来クリスにとって負けを意味するものでした。テニスの試合と同じです。
テニスの試合ではボールがネットに当たりこちらに落ちれば負けを意味します。同様に指輪が橋の手前に落ちたということは、クリスの負けを意味するものでした。しかし恐ろしいまでの強運で、クリスは負けを回避することができました。
ではクリスは本当に勝ったのでしょうか?これについては後ほど考察します。
指輪が橋の手前に落ちたシーンの2つの伏線
映画の終盤、クリスが投げた指輪が橋の手前に落ちたシーン。そのシーンには2つの伏線があった、と私は考えています。
オープニングのシーン
まずオープニングのテニスのシーン、ボールがネットの上を行き来するところに伏線がありました。そのときのナレーションが
テニスの試合でボールがネット上に当たる。その瞬間ボールがどっちに落ちるか?運よく向こうに落ちたら勝ち。こっちに落ちたら負けだ
でした。
最初のテニスのシーンを観客に見せることで、指輪が橋の欄干に当たりこちら側に落ちてきたことが、主人公にとって負けを意味することを示唆しているのです。ただその指輪をヤク中の男が拾い、警察がヤク中男によるヘロイン目的の殺人と判断したため、運よく主人公は容疑を解かれます。
指輪は橋の向こうに落ちず、こっちに落ちましたが主人公は負けなかったのです。テニスのルールとは違いますが、主人公はまさに強運だけで殺人犯にならなくて済んだというわけです。
最初にテニスの場面を、橋の場面の伏線としているところが絶妙だと感じます。
4人の食事のシーン
セリフの中にも指輪が橋に当たり、こちらに落ちるシーンの伏線がありました。
まずクリス、トム、クロエ、ノラの4人が食事する場面での会話です。
「キャリアは思う通りにいかない」「運次第さ」「運は大事だよ」「運よりも努力よ」「努力も大事だが運を軽く見ちゃいけない」
さらに付け加えるとクリスが知り合いのテニスプレーヤーの会う場面でのセリフ。
「人生はまるでネット上のボールだよ」
このセリフも橋の場面のの伏線になっています。
しかもこのセリフはこの映画の主題そのものともいえます。冒頭のテニスのシーンからラストの容疑を解かれるシーンまで、映画の中に一貫しているテーマなのです。
クリスの犯罪計画は用意周到に見えますが、犯罪行為はずさんなもの。老婆が家に入れてくれなければ始まらないし、老婆を殺害した後、部屋を訪ねてきた人に見つかれば事件は発覚します。さらに2人を殺害しアパートの外に出て通行人とぶつかりますが、その人がクリスの顔を覚えていて警察に証言すればアウトです。
しかしほころびだらけの犯罪でも主人公はとにかく運がよかった。指輪は橋のこっち側に落ちたけど、彼は負けなかった。その辺の描き方が実にうまくできていると感じました。
クリスは勝ったのか負けたのか?
クリスは持ち前の運のよさで2人の殺害容疑を解かれます。そしてエンディングでは子どもが誕生し、平和な生活を取りもどります。結婚をせまる愛人はいなくなり、妻との生活は刺激はないものの仕事は安泰で、生活は保証されています。今後は平和な生活が続けられます。
でもクリスは人生の勝負に勝ったのでしょうか?それは最後のクリスの表情に現れていました。勝ちとも負けともとれない、浮かない表情に。
映画のタイトルは「マッチポイント」(Match Point)。しかしクリスは人生のマッチポイントを迎えたわけではありません。クリスはノラと老婆を殺害した十字架を背負い、これから生きていくことになります。
クリスの人生の勝ち負けはまだ決まってない。むしろ今後は大いに苦しみながら残りの人生を過ごすのではないか?そのように感じた鑑賞後でした。
「マッチポイント」まとめ
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」この映画を見終り、親鸞聖人の悪人正機説を思い出しました。「善人が救われるのだから、悪人だって救われるじゃないか」という逆説的な意味のある言葉です(解釈が間違っていたらごめんなさい)。悪人であるクリスが運のよさだけでその後の人生を続けていけるからです。
別の視点から見ると、いくら善良に生きていても運が悪ければ不幸な人生を送るということ?そんなことも考させられた映画でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました!