萩原朔太郎のイケメンでかっこいい!生い立ちや若い頃のエピソードについても

アニメ「啄木鳥探偵處」や「文豪とアルケミスト」に登場する萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)。

どちらのアニメでも引っ込み思案で人嫌い、そして恋多き男として描かれています。

そこでどんな方なのか調べたことろ、若い頃は超イケメンでかっこいい人物だったことがわかりました!

ここでは萩原朔太郎の生い立ちやエピソードについてまとめました。

萩原朔太郎がイケメンでかっこいい!

アニメ「啄木鳥探偵處」や「文豪とアルケミスト」での荻原朔太郎

2020年4月放送開始のアニメ「啄木鳥探偵處」と「文豪とアルケミスト」に荻原朔太郎は登場します。

どちらのアニメでも萩原朔太郎はかっこよくてイケメンキャラとして描かれています。

下の写真が「啄木鳥探偵處」の萩原朔太郎。

儚げで、繊細で、気が弱そうな雰囲気ですが、女性にモテそうな印象があります。

アニメのキャラクター紹介のPVには「恋多き男」と説明がありました(笑。

後に「近代詩の父」と呼ばれる彼は「啄木鳥探偵處」の主人公・石川啄木にほのかな憬れを抱いていたようです。

そして下が「文豪とアルケミスト」の萩原朔太郎。

「啄木鳥探偵處」では20代前半の朔太郎が登場しますが、「文豪とアルケミスト」の朔太郎はもう少し若い印象がありますね。

それでも気の弱そうなところは共通しています。

「無頓着」とか「見た目をあまり気にしない」と説明がありますが、これだけかっこよかったら間違いなくモテますよね(笑。

実際の萩原朔太郎

下がTwitterから拝借した朔太郎の写真です。

まさに「超イケメン」「正統派美男子」!

小学生のころ「プリンス」と呼ばれていたらしいですがうなずけますよね。

日本には中原中也、志賀直哉、三島由紀夫らイケメンの文豪が多数いますが、この写真を見る限り萩原朔太郎が一番ではないでしょうか。

さらに下は朔太郎と妹のユキ(幸子)の写真です。

朔太郎にはユキ(幸子)を含めワカ(若子)、みね(峰子)、アイ(愛子)という4人の妹がいましたが、ユキは 「高崎三美人」 の一人に数えられたと言われています。

最後に朔太郎の肉声がYouTubeにあるのでご紹介します。

この時代のものが残っているのはかなり貴重なので、ぜひ聞いてみてください。

萩原朔太郎の生い立ち

医者の長男として生まれる

萩原朔太郎は1886年、現在の群馬県前橋市に誕生。

医者の長男で、朔日(ついたち)に生まれたことから朔太郎と命名されました。

地元でも有名な医者の家に生まれ、家業を継ぐこと期待されていましたが、本人は病弱な上に神経質な性格で、「学校では一人だけ除け者にされていた」と感じていたようです。

アニメでも「人が嫌い」という設定になっていましたが、実際の朔太郎もそういった性格の持ち主だったようです。

朔太郎は師範学校附属小学校高等科を卒業し、1900年に旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高)に入学しますが、このころに従兄弟の萩原栄次に短歌の手ほどきを受け、その後校友会誌や回覧雑誌に短歌を発表するようになります。

友だちができず、学校でも一人でいることが多かった朔太郎は短歌に喜びを見出すようになっていきます。

定職につかず音楽に熱中する日々

のちに短歌の才能を開花させる朔太郎ですが、学業はまったく身につきませんでした。

中学や高校では何度も落第を繰り返したり、慶應義塾大学予科了組に入学しても精神的苦悩に悩まされ、その後中途退学したり。

早稲田大学入学を目指すものの、受験手続きが遅れて失敗したり。

医者への道を断念しただけでなく、定職に就くこともなくマンドリンなどを弾きながら日々を憂う生活をしていたようです。

歌人として

そんな朔太郎ですが、歌人としてすぐれた才能を持っていました。

17歳の時い与謝野晶子の夫・鉄幹が主宰する「明星」に短歌が掲載されたり、石川啄木らと「新詩社」の同人になったり。

さらに1913年には北原白秋の雑誌「朱欒」にも死を発表するなど、歌人としての才能を開かせていきます。

一方で「ゴンドラ洋楽会」を組織して、地元の前橋や高崎などでマンドリンやギターの演奏会も開催していました。

その後も室生犀星との2人雑誌『感情』を創刊したり、詩集「月に吠える」を刊行したり、と歌人・詩人として活動し、「日本近代詩の父」と称されるまでになります。

学業が身につかなかったり、父親の跡を継ぐことができなかったり、と挫折を経験した朔太郎ですが、こうした経験があったからこそ歌人として成功につながったのかもしれません。

若い頃の挫折は彼が歌人として大成するために必要なものだったのでしょうね。

田端組として

朔太郎が歌人・詩人として活動していた時代、現在の東京都北区田端付近には朔太郎の他、芥川龍之介や室生犀星(むろうさいせい)などの作家が住んでいました。

芥川龍之介は小説家ですが、俳句や詩なども書くこともあったらしく、朔太郎とも交流があったようです。

彼らはお互いに交流したり、さまざまな作品に触れたり、刺激し合う中で自身のレベルを上げていきました。

田端付近に住んでいたことから彼らは「田端組」と呼ばれるようになります。

萩原朔太郎の若い頃のエピソード

「啄木鳥探偵處」や「文豪とアルケミスト」にイケメンキャラとして登場する萩原朔太郎。

ここでは朔太郎の若い頃のエピソードを2つご紹介します。

離婚の原因はシスコン?

萩原朔太郎に4人の妹がいたことは前に書きましたが、彼は妹たちをかわいがっており、よく連れて歩いていたようです。

特に次女のユキ(幸子)と四女のアイ(愛子)はよく連れ歩いていたようで、1925年(大正14年)に室生犀星、芥川龍之介、堀辰雄らと軽井沢で集まった時には、朔太郎は自分の妻ではなくユキとアイを連れて行っています。

またユキとアイは朔太郎の作品にしばしば登場します。

さらに朔太郎はすでに嫁いでいたユキにこんな手紙を書いています。

知らない間にお別れして仕舞つたのは何だか残り惜しい様な気がする、君に別れてから私は元の巣へ帰つた、何だか悲しい夢を想わせる様な五月の風が乾からびたような部屋の隅々まで吹き渡つて居るのを見た時は泣きたい様な心持に成つて仕舞つた

まるで恋人に書くような内容ですよね。

朔太郎は1919年に上田稲子という女性と結婚していますが、10年後離婚しています。

「とにかくおかしな女」「子供が出来てもちつとも母性愛なんてものはない」など、朔太郎は稲子に別れの原因があるように言っているようですが、朔太郎のシスコンが別れの原因だったという説もあるとか。

男女のことは当人にしかわからないことですが、朔太郎が妹思いだったことは間違いないようです。

江戸川乱歩と回転木馬に乗る?

上の画像はアニメ「啄木鳥探偵處」に登場する平井太郎。

平井少年は、のちに「怪人二十面相」シリーズなど人気の推理小説を発表する江戸川乱歩です。

ミステリーや推理小説が好きだった萩原朔太郎は江戸川乱歩の作品を読んで高く評価していました。

さらに朔太郎は乱歩の作品を読んでいただけではなく、江戸川乱歩本人と交流があったこともわかっています。

乱歩は1926年(大正15年)、「浅草趣味」という随筆の中で

木馬といえば、私達はよく浅草を散歩して、子供の仲間入りをして木馬に乗ったものである。

横溝君など最も屡々乗ったのではないか知らん。

と書いています。

「横溝くん」とはもちろん「金田一耕助」シリーズを書いた横溝正史です(笑。

1926年というと乱歩が31,31歳、横溝は23,24歳のころ。

回転木馬に乗ったのはこれより何年か前のことだとは思いますが、2人が「子供の仲間入りをして木馬に乗った」と想像すると、ちょっと笑ってしまいますよね。

さらに乱歩は萩原朔太郎と回転木馬に乗ったエピソードも随筆に書いています。

ごく近頃、去年(昭和六年)の秋であったか、まことに久方振りで、私はあの懐しい浅草木馬に乗ったことがある。

連れはそのころ知合いになった詩人の萩原朔太郎氏で、彼もまた木馬心酔者であったから、私が恥しがるのを無理に誘って、彼は木馬に、私は自動車に、ゴットンゴットンと乗ったのである。

「朔太郎が木馬に、乱歩が自動車に」とあるので、正確には2人で木馬に乗ったわけではありませんが、これも意外なエピソードです。

ちなみの朔太郎は昭和6年には45歳。

恥ずかしがるのは当たり前ですよね(笑)。

まとめ

この記事ではアニメ「啄木鳥探偵處」と「文豪とアルケミスト」に登場する萩原朔太郎についてまとめました。

  • 萩原朔太郎はかなりのイケメンだった
  • 人見知りする性格で、学生の頃は友達がいなかった
  • 医者の家に生まれるが、学業で挫折し、文学や音楽に興味を持つようになる
  • 歌人・詩人として成功し、室生犀星、芥川龍之介と田端組と呼ばれるようになる
  • 朔太郎は妹たちのことを大事に思っていた
  • 朔太郎は江戸川乱歩の推理小説を高く評価しており、乱歩と回転木馬に乗った?

「世界の中心で、愛をさけぶ」の主人公の名前の由来になった萩原朔太郎は、現在にも影響を残す作家です。

アニメを見て朔太郎に興味を持った方は、処女詩集「月に吠える」や代表作「青猫」を手にとってみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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