すずめの戸締まり/要石が猫の姿になったのはなぜ?ダイジンの目的についても

すずめの戸締まり

新海誠監督制作の映画「すずめの戸締まり」。

日本全国に点在する後ろ戸を閉じていく中で、17歳の女子高生・岩戸鈴芽(いわとすずめ)が成長していく物語です。

さて、「すずめの戸締まり」の中で重要な役割を果たすのが猫のダイジン。

すずめが抜いてしまった要石が、白い猫の姿になったのがダイジンです。

ダイジンは愛媛、明石海峡大橋、東京へと逃げていき、すずめと草太を翻弄します。

なぜ要石が猫の姿になったのか、理由を考察します。

またダイジンの目的についても解説します。

 

「すずめの戸締まり」要石(かなめいし)が猫になったシーン

要石が猫になった理由を考察する前に、要石が猫になったシーンを振り返ります。

岩戸鈴芽が引き抜いた石像が四つ足動物の姿に

9月のある朝、岩戸鈴芽(いわとすずめ)は登校中に、廃墟にある扉を探しているという青年に出会います。

男性の名前は宗像草太(むなかたそうた)。

その後、すずめは学校に向かいますが、気になったので方向転換して、すでに廃墟と化した大型リゾート施設へ。

そこですずめは白い扉と小さな石像のようなものを発見します。

 

すずめが石像を持ち上げると、なんと石像は小さな四つ足動物のような姿に。

この石像こそがミミズの頭を押さえる要石でした。

すずめがミミズの体から抜いてしまったことで、要石は白い猫の姿になってしまったのです。

後に白い猫は、SNSで「白いひげが昔の大臣みたいでキュート」と話題になったことから、ダイジンと呼ばれるようになります。

黒い猫・サダイジンも登場

すずめが故郷(岩手県)に戻る途中の道の駅で、サダイジンが登場。

実はサダイジンは東京都内でミミズの尾を押さえていた要石でした。

もう一つある要石は、黒い猫の姿になってすずめの前に現れたのです。

ダイジンの正体はかつての閉じ師と考察

ダイジンはかつて閉じ師(人間)だったのではないでしょうか。

それも、羊朗の先輩に当たる閉じ師だったと考察します。

理由は以下の2つ。

  1. 羊朗が「お久しゅうございます」とサダイジンにあいさつをした
  2. 「人の身には望みえぬほどの誉れ」と羊朗が語っている

それぞれ解説します。

羊朗が「お久しゅうございます」とサダイジンにあいさつをした

鈴芽が草太の祖父・羊朗の病室から去った後、病室の窓のところにサダイジンが現れます。

すると羊朗が「お久しゅうございます」とサダイジンにあいさつするシーンが映画にありましたね。

羊朗は続けて「あの子(鈴芽)についていかれますかな。よろしくお頼み申します」とも言っていました。

このことから、サダイジンは羊朗の先輩・または身内に当たる閉じ師だったと想像できます。

ということはダイジンもサダイジンと同じく、羊朗の知り合いの閉じ師だったのではないでしょうか。

 

そんな先輩閉じ師が何らかの事情で要石になり、ミミズの尻尾を押さえていたのに、鈴芽が抜いたことで自由の身になったのでは、と考えられます。

 

なお原作小説にはサダイジンが羊朗の病室に現れるシーンも、羊朗が「お久しゅうございます」とあいさつするシーンもありません。

サダイジンの正体と目的については、以下の記事で詳しく考察しています。

「人の身には望みえぬほどの誉れ」と羊朗が語っている

病室を訪れた鈴芽に、羊朗は「それは人の身には望みえぬほどの誉れなのだよ。草太は不出来な弟子だったが。そうか、最後に覚悟を示したか」と話します。

”それは”とは、要石になること。

”人の身には”とは、人間が要石になることを示唆していると考えられます。

要石になれるのは、おそらくは閉じ師のみ。

「只人(ただびと)には関われることではない」と羊朗も言っていますしね。

以上の理由から、ダイジンは元々は閉じ師(人間)であったと考えられます。

 

要石が猫の姿になったのはなぜか考察

なぜ2つの要石は猫の姿になったのか、原作小説には説明がありません。

そこで理由を考察します。

 

さっそく結論ですが、個人的には以下のように考えています。

要石が猫の姿になった理由
閉じ師だった人間が要石になり、猫の神様が宿ったから

そんな要石がすずめに引き抜かれたことで、要石は猫の姿になったのではないでしょうか。

要石は神を宿す

宗像羊朗が「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」と鈴芽に話すシーンがあります。

閉じ師である人間が要石になると、神を宿すと解釈することができます。

草太がダイジンの振る舞いについて「気まぐれは神の本質」と言っていることからも、要石は神と等しい存在と言っていいでしょう。

閉じ師の仕事は神道に基づいている

宗像草太が後ろ戸を閉めるとき、祝詞(のりと)を捧げるシーンがあります。

例えば愛媛県の廃校で後ろ戸が開いたとき。

草太は

かけまくもかしこき日不見の神よ

遠つ御祖の産土よ

久しく拝領つかまつったこの山河、かしこみかしこみ、謹んで

と祝詞を奏上。

そして「お返し申す」と叫び、扉に鍵をかけます。

 

祝詞は「声に出して言うのも畏れ多いですが、日不見(ひみず)の神よ。土地神様よ。長い間いただいていたこの土地を謹んでお返しいたします」という意味に解釈できます(間違っていたらすみません)。

内容を見る限り、草太は日本固有の神に祝詞(のりと)を奏上(そうじょう)していると考えられます。

よって、閉じ師の仕事は神道や神道の教えに基づいていると言えるでしょう。

猫(イエネコ)は海外から日本にやってきた

神道と猫は関係がないように思えます。

しかし実は古来より日本では、猫は神として祀られてきましたし、神使(神の使い)とも考えられてきました。

 

猫(イエネコ)は元々は日本にはおらず、奈良時代に遣唐使船に乗せられて日本にやってきたと考えられていました。

ですが2011年、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡での調査で発見された骨は、猫の骨である可能性が高いと結論付けられました。

カラカミ遺跡は弥生時代の遺跡ですから、発見された骨が猫のものだとすると、奈良時代よりずっと前から猫(イエネコ)は日本に住み着いていたことになります。

ネズミから米などの穀物を守るために、猫が重宝されていたのだと考えられます。

猫が神として崇められるように

穀物や蚕を荒らすネズミを追い払ってくれる猫は、とても大事にされるように。

また仏教の経典などをネズミから守る役割も果たしていたようです。

このような経緯もあり、猫は神として崇められるようになったり、神の使いと考えられるようになります。

当時の人たちは猫が描かれたお札を飾ったり、猫の形をしたものを祀ったりしていたそうですよ!

猫を祀る神社もある

調べてみると、猫を祀る神社は全国至るところにあることがわかります。

例えば鹿児島県鹿児島市に鎮座する猫神神社。

文禄・慶長の役(1592~1598年)で、17代島津義弘は朝鮮半島に7匹の猫を連れて行きます。

猫の瞳孔の開き具合で時刻を推測するためです。

 

5匹の猫は現地で亡くなってしまいますが、生き残った2匹を祀って創建されたのが猫神神社。

猫ちゃん好きに人気の神社だそうですよ!

このように猫を崇めたり、猫を神の使いと考える神社は各地に存在します。

要石(ダイジン)には猫の神様が宿っていたのでは?

宗像羊朗が「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」と説明していることから、要石とは神を宿した存在であることがわかります。

個人的な考察ですが、ダイジンは猫の神様を宿した要石だったのではないでしょうか。

ここまで解説した通り、日本では猫を神として祀ってきた歴史がありますからね。

 

そんなダイジンが鈴芽に引き抜かれ、自由の身になったことで猫の姿になった、と個人的には考えています。

気まぐれで、すずめや草太をを振り回すダイジンですが、猫の神様を宿していた、という結論が私にはしっくりきます。

単に監督が猫好きだからかも?

新海誠監督が大の猫好きだから、要石が猫の姿になったと考えることもできます。

もしそうだとしたら、理由は至極単純(笑。

 

参考までに新海誠さんの猫好きについて、Wikipediaに以下のような記述があります。

猫が好き。自身も猫を飼っているが、その猫は『雲のむこう、約束の場所』の制作中に拾われたことから、当該作品のヒロインである沢渡佐由理の名前をとって「サユリ」と名付けられている。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/新海誠

新海誠監督のTwitterにも”すずめ”という名の猫がしばしば登場します。

もしかすると、要石が猫になったのは監督の猫好きが大いに関係しているのかもしれません(笑。

「すずめの戸締まり」ダイジンの目的を解説

物語の中で、ダイジンはすずめや草太をあざ笑うかのように、愛媛、兵庫、東京へと、東に逃げてきます。

白い猫・ダイジンの目的は何だったのでしょう?

ダイジンの目的:開く後ろ戸を鈴芽に知らせること

ダイジンの目的は、これから開く後ろ戸を鈴芽と草太に知らせること。

船に乗ったダイジンは、まず愛媛県に行きます。

鈴芽と草太も愛媛県に行くと、廃墟となった学校で後ろ戸が開きます。

同じように、ダイジンが行った神戸でも、閉園された遊園地の観覧車が後ろ戸になります。

 

当初、鈴芽と草太はダイジンが後ろ戸を開いて、犠牲者を出そうとしていると考えていました。

でも本当は、ダイジンは後ろ戸が開く場所を鈴芽たちに教えて、災害を防ごうとしていたのです。

鈴芽が通った後ろ戸に案内することも目的だった

幼い時に母を探して、偶然くぐってしまった後ろ戸がある場所に、鈴芽を連れていくこともダイジンの目的だったと考えられます。

すずめが4歳の時、東日本大震災が発生し、看護師として働いていたすずめの母親は死去。

津波に飲まれたのだと思われます。

その後、すずめは母親を探しているうちに後ろ戸を通り、常世(死者の世界)に迷い込んでしまいます。

 

草太の祖父・宗像羊朗によると、「人のくぐれる後ろ戸は生涯にひとつだけ」。

すずめがくぐった後ろ戸は、故郷の岩手県にありました。

ダイジンはすずめを後ろ戸がある場所に連れていくために、芹澤の車に乗ったのだと思われます。

要石に戻してもらうことも狙いだった?

要石から猫になったダイジンは、草太を椅子の姿に変えてしまいます。

そして今度は草太が要石となり、ミミズの動きを押さえることに。

ですが、ダイジンはもう一度自分を要石にしてもらおうとしていたのではないでしょうか。

 

サダイジンのセリフに「ひとのてでもとにもどして」というものがありましたね。

”要石の姿に戻して”と解釈することができますが、ダイジンも同じ気持ちだったと思われます。

ダイジンは、草太がずっと要石であることを望んでいたわけではありません。

なぜなら、すずめが草太のことを好きであることを知っていたから。

ダイジンは、すずめに悲しんで欲しくなかったのではないでしょうか。

ダイジンは猫の姿のままでいたかった?

一方で、ダイジンは猫の姿のままでいたかった、と考えることもできます。

作品序盤、自分の部屋ですずめが「ね、うちの子になる?」と尋ねると、ダイジンは「うん」「すずめ、やさしい、すき」と返事。

このとき、ダイジンの体は大福のようにふっくらとして、耳はピンと立ちます。

明らかにダイジンはうれしがっています。

ですが、東京にある後ろ戸を閉めた後、すずめがダイジンに「大っ嫌い!」というと、ダイジンは「すずめは、だいじんのこと、すきじゃなかった」と言い、とぼとぼと去っていきます。

また作品終盤、「だいじんはね、すずめの子にはなれなかった」とダイジンが寂しそうに言うシーンもあります。

 

ダイジンは猫の姿のままでいて、すずめの子になりたかったのかもしれません。

ですがそんな気持ちを抑えて、自らを犠牲にして、もう一度要石に戻ったと考えられます。

もしそうだとしたら、少し切ない気持ちになりますね・・・。

 

まとめ

  • 要石が猫の姿になったのは、要石は元々は猫の神様だったからと考察
  • すずめの引き抜かれたことで、要石は元の猫の姿に戻った
  • 新海誠監督が猫好きだから、猫が登場したと考えることもできる
  • ダイジンの目的は、すずめを故郷にある後ろ戸の場所まで連れていくことだった

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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